ごきげんラジオ、5週ある日曜日は、生放送だけ。
次の週のアンコールがない。
土居裕子さんは、いつもごきげんだ。
曇った顔を見たことがない。
拒むことも拒まれることもないのだろう…と思っていたら、
20代の頃、舞台で共演して惚れ込んだ俳優さんに、
打ち上げの席で、呑めないお酒を口にして勢いをつけ、
「好きです!」と告白したら拒まれたそうだ。
この日は、「告白」をテーマにしたお便りを紹介した。
「裕子さんとゲネプロを一緒に見た夢を見ました」
「裕子さんの舞台を観て、タップダンスを習いました」
「舞台打ち上げの席上で、高校同級生に告白しました」
「家系図を見せられ、色男の祖父があちこちに子がいたことを知った」
「村上さん、尊敬します。土居さん、好きです。この番組、最高です」と嬉しい告白も番組ラストに届いた。
アカペラは、「花の街」。
「七色の谷を越えて 流れて行く 風のリボン 輪になって 輪になって かけて行ったよ 春よ春よと かけて行ったよ」
作詞した江間章子さん(1913~2005年)は音楽の教科書でこう記している。
「戦争が終わり、平和が訪れた地上は瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。その中に立った私は夢を描いたのです。ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる平和という名から生まれた美しい花の街を」
この歌が生まれたのは終戦2年後の1947年4月だ。
NHKラジオ「婦人の時間」で放送された。
曲は東京音楽学校(現東京芸術大音楽学部)を出たばかりの團伊玖磨さんが手掛けた。多くの人の琴線に触れ、全国的に反響を呼び、広く歌われるようになった。
團さんが守ってきた約束事がある。「『花の街』は必ず3番まで歌ってもらう。そうでないと焼け跡で生まれたこの歌の真意が伝わらない」
その3番はこうつづられている。「すみれ色してた窓で 泣いていたよ 街の角で 輪になって 輪になって 春の夕暮れ ひとり寂しく 泣いていたよ」
『泣いていたよ 街の角で…』の部分は、戦争によって苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものだ。
ボクが歌詞を朗読したあとで、裕子さんの彩り豊かな声で、焦土に花が咲いた情景が浮かぶように歌い上げられた。




