先日ある会合で内幸町のビルを訪れたが、窓から見えたのは「市政会館」。

1929年竣工で、戦災を免れ東京都選定歴史的建造物他に認定されている。
見慣れた地上からとは違う角度で、流行りの言葉で言うといつもと「違う景色」!?

 

国会通りより撮影。

最後の改修は1960年代で、なりオリジナルの外観を残しているようだ。

 

特に戦中の日独交流の中心団体であった「日独文化協会」がこのビルに入っていた。

昭和12年(1937年)5月に発行された、日独文化協会創立十周年記念「独逸国実名作素描展目録」を見ると、発行者の住所は「麹町区 日比谷公園 市政会館四階」とビルの4階に入っていたことが分かる。

国会図書館 デジタルコレクション

 

この日独文化協会は第二次世界大戦中の1942年末に、新築されたビルに移転している。次のような記録が残る。

「長らく建設中の日独会館(東京市麹町区三番町4番地)は、戦時下資材不足を見事に克服し、昨17年(1942年)12月3日、前文相本協会評議員松浦銀次郎氏、オットドイツ大使、コルト公使を来賓とし、本協会側より会長侯爵大久保利武氏、(以下氏名略)、建設委員側よりペッツオルト氏(同会館設計者ー筆者註)その他多数の参列を得て、同所に於いて厳粛な竣工式を挙行した」(「日独文化協会事業報告  昭和17年度」より)

 

しかしこの新しい日独会館の建物は1945年春の空襲で焼失してしまう。

「市政会館に残っていたら焼け出されずに済んだのに」などと考えてもしょうがない。

日独文化協会が出たのと近いタイミングの1942年1月には同盟通信社が市政会館に移ってきた。

 

戦時中のドイツ関係の重要な建物であるドイツ大使館は、焼失し今は国会図書館になっている。こちら

またOAG(ドイツ東洋文化研究協会)があった建物は、現在砂防会館である。こちら

 

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