森鴎外の『舞姫』はドイツへ留学した主人公が、ドイツ人の貧しい踊り子と恋仲になる小説だ。

 

しかし実生活においても鴎外が留学から1888年9月8日に戻って4日後の9月12日、ドイツ女性エリーゼ・ヴィーゲルトが来日する。そして親族らが説得して、彼女は10月17日にエリーゼは横浜港から帰国する。

4日後に到着というのは、当時の旅行事情などを考慮すると、鴎外のドイツ出国前から周到な準備をしていたことを窺わせるが、それは今回のテーマではない。

 

筆者が注目したのは「現代語訳 舞姫」(井上靖訳)の解説に、鴎外の親族でSF作家の星新一の書いている一文である。

「それにしても(祖父小金井)良精の説得は見事である。(中略)

良精自身、留学中に短期間だがある女性と関係があり、その結末を自分でつけている。また後輩たちに相談を持ち込まれ、その女性問題の解決に口をきいたことが何回もあったようだ」

 

明治初期から留学生、ないしは駐在員が現地の女性と親しくなり、帰国の際に縁を切るという例は少なくなかったようである。

第二次世界大戦の敗戦で日本人がドイツから引き揚げる際に、現地に女性と子供を残したままの会社員もいた。ある例だが、残した子供が成人し、戦後に再び進出した駐在員の事務所に姿を現したことがある。

 

ここではエリーゼ同様に日本にやってきたドイツ女性の話を紹介する。

 

フリーダ・ヴァイス婦人

1980年12月28日付けの読売新聞に彼女である。

 

「50年目、笑顔の新春。老ドイツ婦人軽井沢『愛の日々』」の見出しで、次のような内容だ。

フリーダ・ヴァイスさんは留学して来る日本人にドイツ語を教える仕事をするうちに、若き医師と激しい恋に落ちる。彼が日本に帰るとき「日本においで。結婚しよう」と言ってくれた言葉を信じ横浜に着いたら、なぜか迎えに来ているはずの彼の姿はなかった。

代わりに友人が、

「彼はドイツに行く前に結婚していて、子供もいる。家を別に用意するから、そちらで暮らしてほしい」。そうして異国で、一人で生きる道を選ぶ。まさに舞姫のような話ではないか。

 

ヴァイスさんは第二次世界大戦が激化してからは「ナチ嫌い」を公言してはばからなかった。そのためドイツ大使館からはパスポートを取り上げられるなどの様々な迫害を受けた。無国籍となったのである。

そうして正宗白鳥、室生犀星、堀辰雄らの文人、田中耕太郎元最高裁長官らと知り合った。ヴァイスさんは軽井沢に疎開し、戦後も軽井沢に残った。終戦直後はGHQの救済委員から食料等の支援を受けた。

 

西村クワは書いている「何年も日本にいるにしては日本語が下手で、(西村)ソノがヨーロッパから帰りたてでドイツ語が出来ると分かると、ソノにつきまとってドイツ語で立て続けにしゃべりまくった」

 

彼女は軽井沢の外国人墓地に眠っている。墓石には1902年にヴュルツブルクで生まれ、1994年に軽井沢で死亡すると刻まれている。

 

軽井沢の外国人墓地

 

ケーテ・ランゲ婦人

 

次はGHQに残る記録からだ。

ケーテが日本にやって来たのは1920年6月の事であった。彼女は47年2月の強制帰国まで、短い2度の一時帰国を除けば、ずっと日本に暮らした。

 

その間に彼女は余生を日本で過ごすことに決めた。そして長年貯めたお金で、軽井沢に2軒の家具付きの家と土地を購入した。ペンションとして貸し出すつもりであった。しかし彼女は好ましくないドイツ人として戦後送還された。

1920年代に女性一人で日本にやってきた彼女も、舞姫のパターンではなかったかと筆者は考えているが。

 

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