千代田区平河町にある砂防会館(さぼうかいかん)の入口には、綺麗に手入れのされた碑とソテツの大きな木が植えられて、どこか南国の雰囲気を醸し出している。
碑には次のように書かれている。
「一蘇鉄樹齢約300年
ルドルフ レーマン(Rudolf Lehmenn)を
記念して贈呈
昭和10年(1935年)6月24日 レーマン家」
ルドルフ・レーマンはドイツ人の造船技術者、機械工学技師で明治維新の翌年である1869年に来日する。
1877年(明治10年)には『和独対訳字林』を校訂し、これが日本で初めての和独辞典とされている。そして第一次世界大戦の勃発する1914年に東京で亡くなる。
碑が立てられてからちょうど90年経つので、ソテツは今や樹齢ほぼ400年か。
1914年に現在砂防会館のあるここにOAG会館を建てる話が出たが、資金が集まらず第一世界大戦も勃発し実現しない。そして1929年、ようやく会館が建てられた。設計者はスイス人の建築家マックス・ヒンデル。彼らドイツ関係の建物を多く建て、1933年築の大森のドイツ人学校もその一つだ。
彼のサインの入ったスケッチ図を見ると、門を入ると中央には広い中庭がある。そして左に図書室、とふたつの閲覧室、右が大食堂、講堂とつながる。中庭の先の正面が遊戯室で、その奥に会長室、事務所がある。
現在の砂防会館は細長い本館と、別館二棟が並ぶが、両方を合わせた地形が、ぴったり当時のスケッチとマッチする感じだ。
OAG(ドイツ東洋文化研究協会)は古く1873年に設立されるが、会員にはビジネスマンも多かった。そしてレーマンは、エルヴィン・フォン・ベルツ医師ら共に、OAG設立期の重要人物のひとりであった。
それゆえに彼の碑が立ったのだ。
そして第二次世界大戦中はここで在留ドイツ人への食糧の配給が行われた。ドイツ艦艇に拿捕されたオーストラリア船籍ロイテンに積まれていた、大量の食糧がそのメインであったろう。
近くにはドイツ大使館(現在の国会図書館の場所)と日独文化協会の建物(現在の九段南のイタリア文化会館の奥あたり)もあった。これらは日本における当時のドイツの主要機関の建物だが、皆1945年5月25日の空襲で焼け落ちた。ドイツの本国の降伏が5月7日である。それから間もなくしてすべて破壊されたことになる。
そしてこのソテツだけが空襲も耐えて、唯一当時を伝えるものとして残っている。
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