ゲオルグ・デ・ラランデ(Georg de Lalande)はとても気になるドイツ人建築家だ。

 

現存する建物は神戸のトーマス邸と旧ロシア領事館 (函館市)のみである。トーマス邸は「風見鶏の館」としてよく知られていて、今年の夏に内部の見学が再開された。

 

好きなパスタと風見鶏。体をひねって背景に入れた。

風見鶏はその名の通り風向きを知る役目を持っているが、ドイツでは雄鶏は警戒心が強いことから魔除けの意味や、またキリスト教の教勢を発展させる効果があるという。

 

デ・ラランデは元同僚のドイツ人建築家リヒャルト・ゼールの招きで1903年に横浜に来るが、同年にゼールがドイツへ帰国したため、建築設計事務所をそのまま引き継いだ。事務所は山下町75番であったという。そして根岸には自邸があった。1908年4月に事務所は東京へ移る。

 

横浜に関しては、遺構の説明パネルなどから彼の設計した建物の様子を窺い知ることが出来る。

 

1 イリス商会

 

まず1907年にイリス商会の社屋を設計した。(山下町54番)

イリス商会は1859年に横浜と長崎で開店したクニフラー商会が元で、横浜最初の外国商社といわれる。

建物は現存しないが、その近くには「山下居留地遺跡」として地下から発掘された煉瓦などを屋外展示している。

 

あまり訪れる人もいない様だが、「54番地」として説明パネルがあり、そこにデ・ラランデの名前と共に、設計したビルの写真を見る事が出来る。

当時流行したユーゲントシュティルと呼ばれる煉瓦造りの重厚な建物であったが、関東大震災で倒壊した。

煉瓦造り建築の耐震の弱さを露呈した、大地震であった。

 

2 ルドルフ・ポール邸

 

もう一つ同じ時代に建てられたイリス商会の支店長であったルドルフ・ポール邸(山手)もデ・ラランデの設計であったという。少し前にその場所を訪問した際には説明パネルが立てられていた。

 

1909年ごろにデ・ラランデの設計で建てられ、下の煉瓦は規格などからポール邸で使用されていたものと思われると書いてある。

ウィキペディアには彼の作品の中に乗って載ってはいないが、イリス商会との繫がり、また建築スタイルなどから横浜の研究者の間ではデ・ラランデの作品と判断されている様だ。

 

興味を引く点として挙げると、まずこんな立派な屋敷が現在は普通の住宅(もちろん立派だが)の場所にあったか?

手前は土地が低いが、少し高い所から撮っているのは、そこの建物の上の階あたりに入れてもらっての撮影であろうか?

下の煉瓦だが外見だけでは、それが100年以上前に焼かれたものかは素人には判断がつかない。専門家は刻印などで時代を判断する様だ。

 

もう少しデ・ラランデに関して、筆者の観点から興味深い点を述べると、彼は1914年8月に東京で亡くなった。

死因については、前月に第一次世界大戦が勃発したことで租借地防衛のため青島へ渡るかどうか悩み、酒に溺れたためという説がある。当時日本にいるドイツ人から100人以上がすぐさま志願して青島に渡った。ドイツ人全体でも1000人に満たない日本であった。そんな中、彼の悩みが痛ましい。それまでも酒への依存度は高かったという。

 

また妻エディータはデ・ラランデの死後、5人の子どもを連れてドイツに帰国するが、後に外交官・東郷茂徳(後の外務大臣)と知り合い再婚した。その後日本に再びやって来るが、第二次世界大戦中は主に軽井沢で疎開していた様だ。

 

以上

 

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