元町から代官坂を山手に上っていく途中にあるのが、昔の横浜村名主石川徳右衛門の『代官屋敷』の一部。

1854年、ペリーが横浜村に上陸し住民の暮らしぶりを視察したおりにこの屋敷を訪れ、徳右衛門が供応したという。

横浜港の開港が1859年、それより5年も前にアメリカ人がこの場所を訪問したという史実に驚く。

 

1 見尻坂

元町に近い辺りで旧山手居留地を考えると、まず思い浮かぶのが見尻坂の入口辺りの境界石。1899年に居留地が廃止される前の標識である。

 

手前のふたつの四角い石で、右が道路境界石、(住居地と道路の境界)、左が居留地境界石(幕末山手に開かれた外国人居留地敷地の境界)との事だが、文字は読めない。

 

余談だが、見尻坂は「坂道の角度が大きいため、人の尻を見ながら上ることになる」ことが由来との事。昔サトウサンペイの漫画で、男性が前の女性のお尻を見続ける事で、登頂できたという面白い漫画があった。

イメージ 3

 

右の石の道路側のみ「道路境界」らしき字が読める。

この横のお宅の緑の尖塔は素晴らしい。まさに洋館!

イメージ 4

 

2 山手ロシェ

レストラン「山手ロシェ」(1967年オープン)の前の境界石。

イメージ 8

 

これはどこかから持ってきたものといわれていたが、最近無くなった様だ。草の間にも埋もれてなさそう。

 

3 レストラン山手十番館

山手247番のフレンチレストラン山手十番館。1967年の開業で馬車道の十番館は同系列。

イメージ 4

 

お店の前の山手本通りには、居留地境界石が展示されている。

 

前のプレートには「居留地境界石 慶応3年(1867)山手居留地開設時の石標」と書かれている。

こちらも別の場所から持ってきたよう。

イメージ 5

 

4 山手76番館

山手76番館 昭和初期建造の木造2階建てとして横浜市認定歴史的建造物。

イメージ 5

 

75番と76番の間の敷地境界石はマニアの間では知られた存在。

七十六と彫られている?

イメージ 8

 

5 旧スウェーデン領事館

乙女坂を登りきったところの山手214番には昭和初期の洋館が残り、スウェーデン領事館として利用されていたという。

この点に関して、筆者の調査結果はこちら

イメージ 3

 

山手二百十四番と読める敷地境界石。

軽井沢の境界石は所有者の名前が入っているようだが、山手は番号のみ。

イメージ 4

 

文字は判読できないが、この辺りの境界石。

 

6 山手269番あたり

イメージ 6

 

中央に線が引かれ、右に「第二百六十八番地」、左に「第二百六十九番地」と読める。

イメージ 7

 

新しい壁の間に残る境界石。左が「第二百六十八番」で右が「第二百六十七番」?

イメージ 8

 

これも境界石?

 

7 288番あたりのブラフ積み

イメージ 1

 

この境界石は判読できないが、おそらく当初からの物であろう。

イメージ 4

 

8 30番あたりのブラフ溝あたり

坂道の横には明治初期に敷設され、今も使われている道路側溝、ブラフ溝。

何とも渋い遺構。

 

こちらも渋いブラフ積。

 

その付近にあるこの石も境界石でしょう。

 

たとえ文字が読めなくても、居留地時代の遺物と思って見ると楽しい境界石!

これらは何度か訪問する中で、撮りためたものです。決して一朝一夕には撮れません。

 

筆者のメインのサイト『日瑞関係のページ』はこちら

筆者の著書一覧はこちら (アマゾン)

『第二次世界大戦下の滞日外国人(ドイツ人・スイス人の軽井沢・箱根・神戸)』

こちら