先日荻窪の「荻外荘」を訪問した際、近くに「角川庭園」があると書いてあったので訪問。つまり前知識はなし。
角川書店の創立者である角川源義(げんよし)の自邸を整備し公開している。
建物は1955年築、加倉井昭夫設計の数寄屋造り。角川は1917年生まれで、角川書店を設立したのが終戦の年、1945年。よって立派な自宅の建築も(筆者にとっては残念ながら)戦後になってからである。国の登録有形文化財。
旧書斎は今も使っていそうに思われるほどモダン。
1949年5月、角川文庫を創刊。文庫本は戦前より岩波書店と新潮社の2つの老舗により先行されていたが、結果として驚くほどの成果を収める。そして出版社としての地位を固めていく。
本題の角川源義からは外れるが、先に挙がった岩波書店の創業者岩波茂雄は軽井沢と縁が深い。北軽井沢の法政大学村(のち大学村)に関係し、
「野上教授の山荘を訪れた岩波茂雄氏がこの地をひと目見て気に入って村民となり、岩波氏の勧誘で本学(法政大学)以外の学者・芸術家も多く参加しました。
初期の村民には、安倍能成、谷川徹三、野上弥生子(豊一郎夫人)、田辺元、津田左右吉、小泉信三、岸田国士らが名を連ねています」と岩波茂雄の名前が登場する。(大学HPより)
また瀬戸内寂聴は『孤高の人』において書いている。
「1945年3月末、突然、湯浅(芳子)は軽井沢の別荘から引き立てられ、留置場になげこまれた。共産党に協力したという身に覚えのない事での不法監禁だった。
湯浅が目の前で捕らえられた時、山原(鶴 たず)先生は、すぐに岩波書店社長岩波茂雄氏の所に連絡して、救出を頼み込んだ。岩波氏の尽力で、湯浅は五月一六日、これも突然、解放された」
戦争中、角川は城北中学校教師となり、2度の召集従軍を経て富山で終戦を迎える。
大学村にあった小説家野上弥生子の別荘。旧軽井沢の別荘に比べてはるかに質素だ。
(現在タリアセンにて移築保存)
そして本題に戻って荻外荘、角川庭園辺りは空襲の被害が少なかったのか他にも古い家が残っているようだ。
立派なお屋敷(右)に蔵(左)も見える。
表札の住所は「区並杉」と右から書かれている。建物も戦前からか?
綺麗に手入れされた庭の家も歴史を感じた
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