1 日本橋三越本館
日本橋三越本店の建物は1935年に完成。ルネッサンス式建築の威容を誇り、当時は「国会議事堂」「丸ビル」に次ぐ大建築物であった。2016年には国の重要文化財に指定された。
という訳で訪問したが、多くの人がその周りを普通に歩いている一方、立ち止まって写真を撮る人はいない。そのためか、日常的光景であまり歴史を感じない。
そうして写真を撮って帰ったが、どうもSNSなどに載っている写真とは顔つきが違う。分かったことはどうも建物の正面側ではなく裏側を撮影したのであった、、、
そうして日を改め、リベンジに向かった。よく見る姿であるが、こちらは車の往来、人通りが多く、その意味から撮影は難しい。
2 三井本館
そしてこの時、奥の建物も古いと思い近寄り撮影。コリント風列柱が圧巻である。
「三井住友信託銀行」と書かれているが、建物は「三井本館」と呼ばれ、三井不動産の本社が置かれ、旧三井財閥の本拠であった。1929年3月23日に竣工して、こちらも国の重要文化財である。
3 日本銀行本店
そしてこの三井本館と来た三越本店の間を進むと、右手に見えるのが日本銀行本店だ。経済関係のニュースでしばしば上空からの映像が流れる建物だ。こちらの本館は1896年の竣工で、やはり国の重要文化財である。1800年代の建築が残っているとは驚異的だが、建物としてはあまり取り上げられない様だ。
4 考察
ではこの重要文化財のトライアングルは、東京を焼野原にした太平洋戦争の空襲を乗り越え、どうして残ったのであろうか?
なかなかそれを説明するものが見つからない。唯一三越本店のウィキぺデイアに次のように書かれている。
「(1945年)5月24日から25日にかけての空襲では銀座支店が全焼し、新宿支店も罹災したが、日本銀行本店など経済的重要施設に近接した日本橋本店は焼失を免れた」
これは日銀の様な経済的重要施設は日本軍も対空砲などで、厳重に防衛したからということであろうか?それとも偶然か?
以下は筆者の他の推測である。
1 アメリカ軍は木造の日本家屋を焼き払おうと焼夷弾を投下したので、石造りの建物の集まるこの地区は、延焼がなく残った。
2 横浜でもそうだが、アメリカ軍は戦後進駐して自分たちが使用する予定の建物には爆弾を落とさなかった、というまことしやかな伝説もある。
以上
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