とてもお世話になっているブログの友人から、週末に旧横須賀鎮守府司令官官舎の一般公開があると聞いた。直前ではあったが、早速訪問した。
これを逃すと次はいつだか分からない。それにしても誰か奇特な人が「日本全国 歴史的建造物一般公開日カレンダー」みたいなものを作ってくれないか。そうすると計画も立てやすいのだが(笑)
「鎮守府」とは軍港に置かれた海軍の本拠地の事である。そしてここがその司令官の官舎である。
建物は1913年の完成。切妻屋根にハーフティンバー造り。
煉瓦タイル張りの壁は、元は下見板張りであったとのこと。だいぶイメージは違ったのだろう。正面のアクリル製らしき雨除けは興ざめ。
「日本遺産」に認定された近代化遺産。
表に回ると、とんがり屋根のベイウィンドウ(出窓)が見える。また右側が和風館で和洋館だ。
せっかく内部も見ることが出来たので1枚。執務室ではなく客室とのこと。
防空壕。2か所ある。建物の正面の壕の入口付近はコンクリートの上部を覆う土は殆どなく、これで十分防空機能があったのであろうかと思うほど。
もう一か所は敷地内に入口がなくボランティアの方もよく分からないとのこと。
庭からは横須賀の海が見下ろせる。港のそばではなく、やはり見晴らし胃の良い所に宿舎を建てた。
歴代長官の名前を見て、何人か筆者に”馴染み”の名前があった。
1 東伏見宮依仁親王(初代、5代)
親王は葉山に別荘を建て、建物は今も現存する。「葉山の東伏見宮別邸を訪問」として紹介した。
横須賀の官舎とは三浦半島の反対側で、直線距離にしておよそ10キロである。
しかし親王は当時の交通事情ゆえか、港から船でグルっと半島を周って通った。そのため葉山の別荘も海から近いところに建てたという。

2 嶋田繁太郎(27代)
嶋田は司令官後海軍大臣も務めるが、イタリア駐在武官であった光延東洋大佐は義弟であった。
筆者の『第二次世界大戦下の欧州邦人(イタリア編)』の中で、光延が海軍大臣の嶋田に宛てた手紙を紹介した。
3 野村直邦(32代)
日独伊三国同盟の軍事委員としてベルリン駐在後、潜水艦で危険な帰国を果たし、その後海軍大臣も務めるが2日で内閣退陣で辞任となる。彼の欧州での活動に関しても上記書籍で写真と共に紹介している。
4 建物は戦後はアメリカに接収され、在日米海軍司令官他が居住する。その1代目ベネトン・W・デッカーは人格者であったという。イエズス会に学校の設立を要請し、1947年に栄光学園が横須賀に設立された。彼に関しては『ドイツ人・ハンス・シュトルテさんの体験した戦時下の日本』で紹介。
以上の様に司令官は海軍の要人が務めたことが分かる。
改めて横須賀のブロ友さんに感謝!
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