軽井沢駅の方から万平通りの森裏橋を右に直角に折れるのが「堀辰雄の径(フーガの径)」で立派な道標もある。
この先には作家・堀辰雄が一時期を過ごした1412番別荘と、バッハのフーガが聞こえてきたチェコスロバキア公使館があったことに名前は由来する。
本日は一つ筆者の疑問の述べる。どなたかご教授いただけると幸いです。
それはチェコスロバキアの夏季公使館、もしくは同国公使館員の別荘は本当にここにあったのかという疑問です。
命名の元となった堀辰雄の随筆『美しい森』には
「別荘の並んでいる水車の道のほとりを私が散歩していたら、チェッコスロバキア公使館の別荘の中から誰かがピアノを稽古しているらしい音が聞こえて来た。(中略) バッハのト短調の遁走曲(フーガ)らしかった」と書いてある。
「水車の道」は聖パウロ教会から愛宕方面に向かう道である。ところが現在の「フーガの径」は旧中山道を挟んだ反対側にある。「水車の径からいろいろな方面を歩いて出くわした光景」という解釈がある。しかしこの文章から判断すると水車の道沿い、もしくはそばに公使館の別荘はあったと考える方が自然ではないか?
また別の箇所でも
「ちょっとした晴れ間を見て、水車の道の方へ散歩に出かけた。そうしたらチェッコスロバキア公使館の別荘の中から快活なピアノの音が聞こえてきた。(中略)バッハの遁走曲(フーガ)をやっている」と書いている。
(原文はどちらも1934年4月10日印刷版)
堀がこの道の1412番に住んだのは1941年頃からである。つまり随筆の書かれた1933年ころ、そこから水車の道の方へ行く時に聞こえてきたという解釈は時代的に合わない。
いつ頃からここにチェコの公使館があったという話が出てきたのかは分からない。
すでに1985年に出版された『軽井沢心理学散歩』(安西二郎)には
「T. W.氏夫人になっているWさんの別荘こそ、他ならず旧チェコ公使館なのだが」と書かれている。(名前は頭文字のアルファベットにしました) Wさんがこの別荘を入手した際にそう伝えられたのであろうか?そしてその根拠は何だったのであろう?
一方筆者がいろいろ見てもこれまでの所、外交文書などでこの地域に1930年代初頭、チェコの外交官の別荘があった、または夏を過ごしたという話は確認できていない。(夏季仮ドイツ大使館が1372番に開設されたという記録はある)
その後知り合いが、1970年の「信濃教育」という雑誌に
「『美しい村』執筆の周辺とその点描箇所の追跡」という記事の中で
「公使館別荘は愛宕山にあるお天狗様へ行く途中にある」と建物写真付きで紹介されていることを指摘してくれた。
興味深いが、これとてここが正解という確証を与えるものではない。
なお『美しい森』は個人的体験を基にしたフィクションであるから、場所及び、チェコの公使館であったかを深く詮索されるのは作者堀辰雄の本意ではないであろう。ロマンはロマンのままでよい。
またこの物語のポイントはフーガという楽曲の形式であって、場所がチェコの公使館である必然はないはずだ。『美しい村』の別の個所で次のように書いている。
「ひとところを繰り返す・・執拗な走法(フーガのこと)の効果が、この頃僕の中に小説のいろんなテーマがふと現れてはふと消えていく、そのうちにそれが少しずつ発展してきているような気もする、そういった具合にそっくりだった」
なお筆者は知人がいるのでこの「堀辰雄の径(フーガの径)」を時々歩くが、最近堀辰雄にちなんでここを歩く観光客はあまり見たことはない。
堀辰雄の別荘のあった場所。ここに別荘があったという説明パネルでもあると良いと思う。
堀辰雄のその別荘は、タリアセンの軽井沢高原文庫に移築保存されている。
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