先日の軽井沢書店での私のトークショーの日、少し早く着いて六本辻をスタートして、野澤源次郎が開発した別荘地区を歩いてみた。
カフェ・ミハエル
スタートは六本辻のカフェ・ミハエルでロシアンティー。
1976年のオープンで、お父様が白系ロシア人で戦時中軽井沢に暮らし不動産業を営んだという。「ミハエル」とは若くして亡くなった叔父の名前を取った。調べたところ軽井沢には戦時中は4人のミハエルとつく白系ロシア人がいたが、若い方は一人だけだ。
筆者のテーマ「戦時下の軽井沢」にとって重要なお店。今お店に立つのは2代目の塚田ピョートルさんである。
ミハエルの外観
軽井沢でも最高気温は30度を超えるので、室内はあまり快適ではなくテラス席に。
背景を入れ込んでロシアンティーの撮影。こういう写真はパスタで撮り慣れている(笑)
野澤源次郎
野澤源次郎は今も続く食品、畜産製品等の商社「野澤組」の2代目社長で、1920年代にかけて「野澤原」と呼ばれる分譲別荘地を造り上げた。雲場池の造成や、六本辻のラウンドアバウト付近一帯の道路整備なども、野澤が手がけたものである。彼の業績の中で私が興味を持ったのは「野澤マーケット」である。
「軽井沢別荘案内図 1935年版」(国会図書館デジタルコレクション)を見ながら話を進める。
ほぼ中央の丸が六本辻のロータリーである。その右に「野澤組別荘地」、また左下にも横書きで「野澤組別荘地」と書かれている。先のミハエルは右の字の少し内側にある。それ以外にも野澤組の別荘地は広がるが、ここが中心といえる。
上の雲場池から流れる雲場川の左、赤丸を付けた部分が野澤マーケットであった。川を挟んだ反対側の1670番は野澤組(軽井沢)出張所であった。
野澤マーケットはいくつかの建物からなる、ショッピングモールでほとんどお店が東京からの夏季のみの出店であった。分かる範囲で書くと次のようなお店だ。
1705番 「アメリカンベーカリー」という洋食屋兼パン屋。オーナーの金原権吉は戦後の一時期、旧軽の旧鈴木歯科医を所有した。
1708番 「風月」。神田淡路町の和洋菓子喫茶店。
他に「明治屋」、赤坂にあったクリーニング屋「風月」などである。
そして別荘客の減少で1941年から42年のころに閉鎖になった。しかしながらこういうお店について触れた回想録などは見つかっていない。
現在の野澤別荘地
次は今回訪ねた印象である。「野沢原通り」、雲場川にかかる「野沢橋」の名にその名残がある。
かつてアメリカンベーカリーがあったあたりは、今は建物はない。結構広い土地の所有者は誰であろう。
野沢原通りを挟んだ1708番「風月」のあった場所は移転してオープンしたばかりのワインバー「ロクリ」だ。
野沢原通りを南に下ると1720番、伏見宮別邸であった。戦後焼失。敷地は広かったので現在は1720番はW1、W2、W3、W4と枝番に分かれ、そこからさらに複数の別荘が入るところもある。
この後、筆者のトークショーが軽井沢書店で行われた。早目に着いた時間の有効利用であった。
野澤源次郎はまた桂太郎の別荘を1918年(大正7年)頃に取得し、晩年まで個人的に別荘として使用した。
その建物は現在、野澤組の保養所となって現存している。筆者は野澤組に勤務される方から許可を得て、撮影させていただいた。
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