<終戦直後の横浜・山手の写真>
戦中、終戦直後の山手の写真はほとんど見ないが、占領(GHQ)が日本中のドイツ人資産を調べ上げた中で、山手には次のような家の写真が残されていた。記録用にマイクロフィルム化された写真は拡大してみると、暗く不明瞭だが、貴重な史料ゆえに紹介する。(写真は国会図書館所蔵、原所蔵機関は米国国立公文書館)
1 カール・クライヤー邸 (山手244番)
終戦直後にアメリカ第八軍のアイケルベルガー将軍の宿舎となった経緯については「マッカーサーの横浜の宿舎を探し歩く」で紹介した。マッカーサー将軍に次ぐナンバー2の宿舎に選ばれただけあって敷地は広く、建物も立派だ。

正面から見る。

裏側から.。左奥の建物は使用人住まい兼ガレージであろう。

敷地図。2000平米以上の広さがあった。
クライヤ―の箱根の別荘
2 ドイツ学校(山手42番)
大森と同じ財団法人ドイツ学園の所有。道路に面した普通の二階建ての家に校長先生以下総勢3名の教師が暮らす。そこで戦争中も少人数での授業が行われたのであろう。奥は廃墟となっている。空襲の被害?
現在はかつての廃墟の場所に日本聖公会横浜教区祈りの家があり、学校の建物があった場所は空地であったが2021年に入り、工事で周りの様子が変わっているようだ。


42番の敷地図。手前が住居兼教室。
3 ヘルマン・シュライナー (Hermann Schreiner) 山手152番(日本側資料では153番)

4 ヘルム商会 山手120番
戦時中はヘルミネ・ブレンデル他2名のドイツ人が住んでいる。アメリカ女性エレブクーア・ラフィンも120番に住んだ。その後アメリカ人にも友達のいたというドナルド・ヘルムが買い取ったのであろうか?手前の道路(ワシン坂通り)は終戦後間もなくアメリカ軍がブルドーザーで拡幅した。その感じが伺える。

4 山手40番。
先のリストには挙がっていないが、所有者フリッツ・シュタインシュ(Fritz Steinsch)は中区滝之上が住所となっている。もしくは滝之上40番か。
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