夏の軽井沢では多くのセミナーが開かれる。経済界、政界、アカデミー界などである。
よく知られたところでは今年8月2日(水)から8月4日(金)まで行われた「軽井沢夏期大学」がある。大正7年(1918年)に「学俗接近」を唱えた新渡戸稲造と後藤新平により創設された通俗大学で、戦前戦後の一時中断後、昭和24年(1949年)に再開され、本年で再開以来75回目を迎える。(軽井沢町ホームページより)
戦時色が深まり戦前、戦後の一時期は中断されたのであろう。一方その時期に「東洋文化夏季大学講座」が開かれている。ドイツ人と日本占領下のアジアの国の人を対象としたセミナーで、東京講座と軽井沢講座の2か所で行われた。こちらは時局にかなったものであった。分かる範囲で「軽井沢講座」の内容を紹介する
1940年8月26日
ドナート氏、稲垣守克講師(ドイツ語 軽井沢ホール)
午後8時より軽井沢会館にて音楽会及び映画
⇒ドナート氏とはヴァルター・ドナート(日独文化協会主事)で日独文化交流のドイツ側の責任者である。稲垣守克はジュネーブの国際連盟で日本の常任代表を務めていた。「戦時下軽井沢のふたつの稲垣家」で紹介している。
会場の「軽井沢ホール」は軽井沢集会堂を指している。「軽井沢会館」については先日の「ヒトラーユーゲントの軽井沢訪問」で説明している。当時の文化イベントは大体この2か所で行われた。
ヴォーリズが設計した集会堂
1942年 8月10日~
日本が米英に参戦後、最初の夏である。
開会の辞(会館) ドイツ人と東亜共栄圏内の外国人を対象
ドイツ人の年中行事とバッティングしてドイツ側の参加者はいなかった様だ。
1943年 8月2日~7日
中立国民が軽井沢に来ることを禁じられたらしく、ドイツ人も2~3名に過ぎず総勢20余名のこじんまりした開講式となった。ここでの中立国とはスイス、スウェーデンという欧州諸国ではなく、タイ、ビルマという国々を指している。
第5日 午後4時から軽井沢会館において音楽会(演奏者は全員日本人)
音楽会は3百数十名の参加。ドイツ語の通訳があり外国人諸君は頗る満足。
外国人とはドイツ人の事であろう。まだ別荘生活を楽しむ余裕が日本にあったと言えよう。
1944年8月7日から11日
延べ684名の参加者と終戦1年前で戦局も厳しい中にも関わらず、前年より多くの参加者であった。全員日本人であろう。
1945年は行われたとは思えない。また戦後はもちろん復活する事はなかった。
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