先日「終戦直後、軽井沢で逮捕されたドイツ人」で紹介した12人のドイツ人の内の一人、カール・キンダーマン(Karl Kindermann)は奇妙な運命をたどっている。

 

彼はユダヤ人として1942年1月にドイツ国籍をはく奪されたいわば被害者にもかかわらず、ナチス(悪名高いマイジンガー警察武官)のために働いていたと、終戦直後に日本のユダヤ人たちがGHQに告発したからだ。

 

若いころ、ドイツにおいて彼はユダヤ人でありながら急進的な反ユダヤ主義者であった。1939年、ナチスの援助があったから、出国が許され最高級の船室を利用した航海で日本にやってきたと推測されている。

 

日本では生活のため、ドイツ秘密警察(通称ゲシュタポ)のエージェントだったと噂され、また中立国の情報をスパイしたとも言われ、ドイツ語版のサイトでは幾人かの証言が紹介される。無国籍者として生活が不安定な中、無知もあり生計費を確保するためにマイジンガーともコンタクトがあった、と自身も戦後に語ったという。

 

キンダーマンは日本では学校を経営していたと自ら語るが、それを裏付ける証言は当時子供であったアイザック・シャピロ(ユダヤ人)だけのようで拙著『心の糧(戦時下の軽井沢)』で紹介した。夏の軽井沢で

「これを”学校”と呼ぶのは少し大げさである。生徒は10人足らずで、彼の家の居間が教室だった」と結論付けている。(住所は軽井沢1095番)

また厚目がねの人相描写で、決して悪人を想像させない。

 

軽井沢でのユダヤ人の言動をマイジンガーに報告したのであろうか?ドイツが気を配るほどの大きな社会でもないと筆者は考えるが。

 

キンダーマンはすでに1944年の年初には軽井沢に滞在していた。かなり早い時期の疎開だ。ふたつの追悼文が軽井沢で書かれている。

 

『手向けの花束』 市川晴子、三榮追悼録

1945年5月5日発行

 

市川晴子夫人を偲んで(原文 ドイツ語)

1944年2月8日 軽井沢にて

亡き友市川三榮君を偲んで(原文 ドイツ語)

1944年2月23日 軽井沢にて


そして終戦後間もなく、冒頭に挙げたように米軍にナチ残党の一人として逮捕される。日本での活動はベールに覆われていて、戦争中に軽井沢の学校を経営していたというキンダーマンの説明も疑われ、警察担当責任者のマイジンガーのために働いたと言われた。

1947年に「好ましからぬドイツ人」として強制帰国となる時も、巣鴨の戦犯の刑務所に入っていた。


1950年に入ってのドイツでの裁判では、こうした嫌疑は根拠のないこととして無罪が言い渡された。しかし彼に関する議論は以降も続いた。本人の主義に加え、家族を養っていくために生計費のための仕事など、いくつかの要素が複雑に絡んだのがキンダーマンの謎の多い行動であった。

 

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