終戦時の居住地域毎に「○○〇で終戦を迎えたドイツ人」をシリーズで紹介してきた。今回長野県の野尻湖について述べる。
野尻湖には戦前より外国人別荘地「神山国際村」、通称「外人村」が作られていたが、戦時中はその規模を縮小する。国際村開発年表によれば、その間の記述は以下の通りで、ほとんど閉鎖された印象だ。
1941年 ほとんどの人、本国へ引揚げる。
1942年 キャビン70戸を日本政府が没収。
そして周辺も含めて20人弱のドイツ人が野尻湖で終戦を迎えた。筆者はとりわけ日本人を妻とする3組のドイツ人家族に注目した。
フランツ・メッツガー家(Franz Metzger)
ヘルムート・ケテル家(Hellmuth Ketel)
ヘルマン・ウォルシュケ家(Hermann Wolschke)
そして彼らの詳細は、拙著『続続 心の糧(戦時下の軽井沢)』の中で「フランツ・メッツガー」という題名で詳しく述べている。
野尻湖(筆者撮影)
本編ではもう一人注目すべきドイツ人を紹介する。「東京のシンドラー」と呼ばれるヴィリー・フェルスター(Willy Foerster)である。オスカー・シンドラーは先の大戦中、ドイツで自分の工場で1200名のユダヤ人を働かせ、彼らの命を救った。
1993年にはスピルバーグ監督が「シンドラーのリスト」のタイトルで映画化した。以来、世界各地で同様にユダヤ人を救った人物を「○○のシンドラー」と呼び顕彰することが多い。
ヴィリー・フェルスターは1938年、大井町に「日独機械製作所」を設立する。そして1200名の工場従業員と180名の事務員を抱える規模となり、彼自身も最も裕福な外国人の一人に数えられる。
日独機械製作所の広告 (『独逸大観』1940年 国会図書館デジタルコレクション)
そして彼はユダヤ人ではないが、東京のユダヤ人難民委員会と連携し、ドイツなどからユダヤ人を入国させ、自分の工場に雇い入れた。雇われた者には医者で日本でドイツ国籍をはく奪され、後に軽井沢に疎開するヴィッテンベルク(Ernst Wittenberg)、ウィーン生まれでドイツで就職を決めて日本に赴任(避難)してきたクアスラー(Ernst Quastler)などがいた。
彼の行動は日本駐在のナチスに睨まれ警告を受けるが、聞き入れずに自らドイツ人社会とは距離を置く。しかし1943年5月24日、ドイツ側の圧力で、日本人のヒデコ夫人らと共に日本の警察にソ連のスパイとして逮捕される。いったんは無実として釈放されるが、再度1945年5月17日、ドイツの警察武官マイジンガーの要請で今度は反ナチスとして捕らえられる。そして日本の敗戦でようやく釈放された。
主としてドイツ語版ウィキペディアからの抜粋であるが、フェルスターの勇気ある行動は日本人の間ではほとんど知られていないので、この場で紹介する。
釈放後はすぐさま別荘を所有していた野尻湖に移り住む。1947年ドイツに送還されるドイツ人のリストがGHQによって作成されたが、そこでもフェルスター夫妻の住所は「野尻湖畔、レークサイド」である。またアメリカ側もフェルスターの行いを正しく理解できずに、「好ましくないドイツ人」として妻と2人の子供と共に帰国させる。
2017年に"Der Fall Foerster"(フェルスターのケース、Clemens Jochen)という本が出版され、初めて世の中でフェルスターの名前が認められたようだ。先のドイツ語版のウィキぺデイアもかなりの部分が、この本からの引用である。
Der Fall Foersterの表紙
1950年代初め。娘のEricaと
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