戦時下、軽井沢1050番はショー通りを駅方面から入り、左に八田別荘を見てその少し先の右側、今は駐車場となっているあたりだ。(住所は800番代に変わっている) 多くの修道女が疎開したことはすでに紹介した。(こちら


八田別荘


そこは戦後、十大総合商社の一角に数えられた安宅産業の創立者安宅弥吉の別荘であった。娘の安宅登美子は1925年・1926年の全日本テニス選手権女子ダブルス優勝者になったテニス選手である。登美子は仏文学者朝吹登水子と共に、軽井沢とテニスを愛した女性だ。その娘、恵子は軽井沢集会所で毎日、ピアノを練習した。登美子は「集会堂といえば、あそこで映画をよく見た」と語っている。

 

集会堂
 

以降書籍でお楽しみください。

『続続 心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら

 

メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら

拙著

『心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら

『続 心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら

『続続 心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら (本編続きはこちらに収納)