ここはGHQの記録では常にAuditorium(日本語で講堂)と書かれている。

軽井沢避暑団は別にテニスコートの横に「集会堂」を持っていたので、あるイベントが実際に

どちらで行われたかを知るにはやや紛らわしい。
1891年、碓井線(信越線)鉄道工事が始まるとポナウルは軽井沢に居を移し、

毎朝馬で現場に通った。そして夜や休日には鉄道技師クラブでイングリッシュ・

ビリヤードに興じた。このクラブの建物が不要となるや1897年に礼拝

となり、今日のユニオンチャーチとなるのである。

 

現在同じ位置から撮影したもの。似ている感じが分かる。

 

この建物は、当時軽井沢で唯一大きな空間の会堂で、200人は収容できたため、

キリスト教集会以外にも音楽会や講演会などが夏の間に開かれた。

そのため別荘の人々はここをオーディトリアムと呼び、催し物を楽しみ、夏の良い

思い出とした。

 

ユニオンチャーチは国籍、宗派問わない教会で、現在の建物は1918年、

ウイリアム・ヴォーリズによって設計され建てられたものである。

カナダ人宣教師ダニエル・ノーマンが開いた。
 

ヴォーリズは15年に軽井沢事務所を旧道に開く。現在ミカドコーヒーのある場所で

軽井沢教会の隣である。ヴォーリズは建築家としての仕事の他、この教会の仕事に

積極的に取り組んだ。それに定期的に催されていた日本全国宣教師会の仕事、

このユニオンチャーチ(オーディトリアム)で開かれた音楽会の準備作業などに

精を出した。地元の木工職人から頼まれた軽井沢彫りの家具のデザイン、

商店から頼まれた看板書きなどにも気軽に応じたという。1927年には

軽井沢避暑団の副会長にも推挙される。またヴォーリズは正規の建築学を

学んだことはないにもかかわらず、図面なしに口頭で職人らに自分の考えを説明した。

 (『軽井沢別荘史』 宍戸實他 

白黒写真と敷地図は国会図書館所蔵、原所蔵機関は米国国立公文書館)

 

敷地図。左手道路の先がテニスコート。

 

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