日本政府の方針で戦時下、外交団は軽井沢に疎開した。しかしそれは1944年の夏以降で、それまでは日光にもかなり滞在していたようだ。次は1943年6月9日付けの外務省の内部資料だ。
「避暑地における外交団に対する便宜供与関係事務打ち合わせのため、長野県及び栃木県へ課員出張の件」
「在京外交団中この夏、軽井沢及び日光に滞在する者多数あり。これに鑑み同地のおける生活必需物資配給問題その他に関し、関係方面との事務打ち合わせのため、昨夏の例に準じ、長野県(軽井沢町)及び栃木県(日光町)へ5日間の予定にて課員三浦稔を出張せしむることといたしたき」
日光の中禅寺湖畔には、外国公館の別荘がいくつか残っている。そして一部は今も利用されているようだ。
イタリア大使館の別荘は記念公園になり、中の見学が可能。アントニン・レーモンドの設計。
英国大使館別荘記念公園。元はアーネスト・サトウの別荘としてジョサイア・コンドルが設計。あまりコンドルらしくない。
ただし1943年時点では日本と英国は交戦状態なので、利用したとしたら枢軸国もしくは中立国の外交官か?
今も使われているフランス大使館の別荘。よって見学は出来ない。
ベルギー大使館の別荘。フランスとベルギーは外交関係も深いので、別荘も近くにあるのか?
筆者の出版物
『心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら
『日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録』はこちら
『第二次世界大戦下の欧州邦人(イタリア編)』はこちら
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