戦時下の横浜の外国人は筆者の大きな調査テーマの一つだ。
横浜の外国人が主に暮らした地域が、1943年8月に外国人居住禁止区域に指定され退去する。横須賀軍港が見下ろせるというのが主理由で、対象者は1206名だ。


戦況が悪化し最終局面の1945年5月28日「外事警察特別措置」で、外国人は指定した

特殊地域でしか住むことを認められなくなる。特殊地位とは軽井沢、箱根などである。


横須賀港 筆者撮影


こうして横浜には終戦時、欧米系外国人は原則いなくなる。1945年8月25日現在「神奈川県在留外国人名簿」によると、
それでも次の名前が見られる。各人居住できた理由がありそうで興味深い。

唯一のドイツ人
フリードリッヒ・フライフース(60) 元貿易商 横浜市南区太田町 
ミツアキ・ウイリー・フライフース(20)
子供がミツアキという名前なので妻は日本人で横浜に留まったのであろう。

また南区は外国人の絶対居住禁止区域には指定されていない。

敵国のアメリカ人は
小田右一(会社員)と長女幸子 神奈川区 日本名なのでアメリカ国籍の2世であろう。
ジョン・ショーツ(20歳 戸主) 中区本牧 
アンナ・ショーツ (姉)
若いアメリカ女性姉妹だけで戦時下を過ごせないので、日本人(母親?)の庇護の

もとにあったのであろう。

他に横浜ではないが慶応大学生(日本名)4名が川崎で寮生活を送っている。

同じく敵国の英国人は市内に6名、国際結婚の日本人夫人が2名で、他の4人も

同様の事情の英国籍人であろう。


さらにエストニア人一家4名。南区弘明寺
オランダ人 ドンカーカーチス一家5名 本牧 家長ヘルマンには病弱と書かれている。
デンマーク人 1名 スウェーデン公使館事務員 山下町ヘルムハウス
白系ロシア人 一家3名 中区鷺山 夫が放送協会(今のNHK)勤務なので外国向け放送に関係して特別扱いか?
チェコ人 夫婦2名 南区弘明寺 夫婦 自動車修理
イタリア人 1名 元町

このブログでは以前「横浜刑務所で終戦を迎えた外国人」を紹介した。(こちら

そこには23名の名前が挙がっている。一応自由の身であった外国人の数とほとんど変わらないのが、異常な時代を反映している。

詳しく読みたい方は、筆者ホームページの「戦時下、横浜に暮らした外国人の受難」を一読ください。(こちら

 

メインのサイト「日瑞関係のページ」はこちら

拙著『心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちらからお求めになれます。

拙著『日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録』はこちらからお求めになれます。