心の糧』42ページで紹介した、ドイツ人保養所「ハウス・ゾンネンシャイン」は当然ドイツ人によく利用された。

そしてそこは堀辰雄の「雉子日記」にそのままの名前で登場している。場所は「堀辰雄の径(フーガの径)」の先だ。

 

「すっかり雪に埋もれた軽井沢に着いた時分には、もう日もとっぷりと暮れて、山寄りの町の方には灯かげも乏しく、いかにも寥しい。そんななかに、ずっと東側の山ぶところに、一軒だけ、あかりのきらきらしている建物が見える。あいつだな、と思わず私は独り合点をして、それをなつかしそうに眺めやった。

ハウス・ゾンネンシャインと云う、いかめしい名の、独逸人の経営しているパンションが、近頃釜の沢の方に出来て、そこは冬でも開いていると云うことを、夏のうちから耳にしていたが、私がそれを見たのはついこの間のこと、(中略)

釘づけになった数軒の別荘の間から、私の前に突然、緑と赤とに塗られた雛型のように美しい3階建のシャレエが見え出した。
南おもては一面の硝子張りだが、それがおりからの日光を一ぱいに浴びながら内部の暖気のためにぼうっと曇り、その中から青々とした棕櫚(しゅろ)の鉢植をさえ覗かせている。―― 近づいて標札を見ると、「Haus Sonnenschein」とある。ふん、こいつだなと思って、私はその家の前を何度も振り返りながら、素通りして、裏の山へ抜けようとしかけたが、頭上の大きな樅の木からときおりどっと音を立てて雪が崩れ落ちてくるのに目が開けられないほどなので、又、引っ返してきた」(青空文庫)

ハウス・ゾンネンシャインは3階建てのシャレ―であったことが分かる。住所は軽井沢1411番であるが、堀は「近頃釜の沢
沢の方に出来て」と書くが、すでに1937年の「ドイツ太観」に載っている。また次の箇所は床屋の鏡越し見た光景だ。

「おや、何だか見覚えのある奴が通るぞ。なあんだ、テニス・コオトの番人か。やあ、こんどは自動車が通る。毛唐けとうの奴らが鮨すしづめになっていやあがる。ふふん、さてはハウス・ゾンネンシャインの連中だな。鏡の中に映らないが、自動車が何か引きずってゆく音がする、何だい? と訊きいたら、橇そりですよ、と親方は無雑作に答える」(青空文庫)
堀は「見覚えのある奴」と書くが、すぐに分かったのは冬の軽井沢に来るのはドイツ人くらいだったということもあるのではないか?

ハウス・ゾンネンシャイン住所は書いたように1411番である。堀が1941年に川端康成の紹介で購入し1944年まで住んだ別荘1412番は、細い道を隔てただけの隣同士だ。隣がそんなドイツ人の保養所であることを知ってた上で、堀は新しい別荘を購入したことになる。「美しい村」は1933年に書かれている。またハウス・ゾンネンシャインのオーナー、レーデッカー夫妻の住まいは1427で1411番の斜め前にある。



写真は現在の1427番。門柱は当時のものか?ハウス・ゾンネンシャインの1411番は奥に薄く見える建物のあたり。ゾンネンシャインは「日光」の意味だ。この日は日が差し込んでいたが、それほど日当たりの良い場所とは思えない。

何もかつての痕跡は残らないが、門柱だけは当時のものかもしれない。

 

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