1943年、山手のすぐそばの根岸町2丁目に住んでいたふたりの内、マサコはドイツ国籍だが、元は日本人である。
 
マサコの夫はドイツ人リヒャルト・エンダーライン、長女がヒルダである。一家は神戸時代に小説家の谷崎潤一郎一家と昵懇であった。
 
それが縁で谷崎の代表的小説『細雪』の中で、一家はヘニング家として登場する。そのヘニング家の娘の名前はフリーデルで、ヒルダが元であることを連想させる。
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マサコと同じ住所に住むディーター・レオンハルトはドイツ・シーメンス社の駐在員として1938年に来日した。ディーターは来日間もない神戸勤務時代に、カナディアン・アカデミー神戸に通う女学生ヒルダに魅了された。
 
ヒルダはプリマを目指して、亡命ロシア人・オソツカ女史についてバレエの研鑽に励んだ。そして学校を卒業すると、さらなる舞踏研究のため、ディーターとの恋を振り切り1940年暮れ、シベリア鉄道で父リヒャルトとドイツに向かった。
 
やがてドイツとソ連の間で戦争が始まり、父と娘は日本に戻れなくなる。この辺りは細雪にも同様の記述がある。
 
そして日本に残るマサコと娘ヒルダの婚約者ディーターは、根岸で同じ屋根の下で暮らす。ディーターはマサコの面倒をよく見た。
 
1945年5月29日の横浜大空襲の直後には、ディーターはマサコを、箱根のドイツ人の疎開地に呼び寄せたので、空襲の危険はなくなった。
 
戦後の1947年、ディーターはドイツに帰国すると、許婚者ヒルダと再会し3年後に結婚する。(『横浜港ドイツ軍艦燃ゆ』石川美邦)
 
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