アプカーはアルメニア人である。今もあまり聞き慣れないアルメニアはコーカサスに位置し、かつてはソ連邦に属していた。

初代アブカー夫妻は1890年横浜に移住しアブカー商会(商社、貿易代理店)を設立する。以降横浜でビジネスを続け、横浜の外国人社会を代表する一家であった。
 
2代目マイケルは1941年12月、日本の開対米英参戦と同時に外諜容疑者として検挙される。フリーメイソンという事で14か月拘束された。

1943年の山手からの強制退去を命じられ、移転先を箱根か軽井沢かを選択するよう命令される。食糧の確保が幾分容易ではないかと想像して軽井沢を選択した。移転に際して持ち運ぶ家具・家財は自由、運搬費用も与えられた。これは日本側の方針で、全ての移転者に対して同様の対応が取られた。
 
アブカー夫妻は下見に出かけ、三笠に希望の家を見つけた。
「裏庭から斜面を下りると清らかなせせらぎがあった。これで飲料水の確保ができる」と考えて決めた。
 
 
一家は終戦を知らせる玉音放送の内容を日本人と結婚していたイタリア人の友人を通じて知った。まもなく軽井沢にやってきたアメリカ兵に助けられて横浜に戻った。
 
娘のルシール・アプカーは、終戦後間もなくGHQのG3セクションで、秘書として働く。彼女は自著に次のように書いている。
1945年クリスマス直前、第8軍のアイケルバーガー将軍は、突如ホームパーティをやることを決めた。ある将校がルシールに「自分がパーティーにエスコートをしたい」と誘った。ルシールはもちろんイエスと答えた。彼女はイブニングドレスを持っていなかったが、山手に住む三井の重役の奥さんが貸してくれた。

将軍の家は大きく魅力的で、終戦前は外交官か、会社の重役のものであったことは明らかだった。そこが彼の住まいだった。彼女はそのパーティーに唯一の私服での参列者だった。軍務につくアメリカ女性は軍服を着ないといけなかったからだ。会場には見たこともないような食べ物が並んでいた。氷の白鳥もあった。(『Shibaraku』より)
終戦間もなくの横浜の光景であるが、これは山手の244番であろうか?こちら参照
 
三女キャサリンはアメリカ兵の一人と親しくなり結婚、披露宴はホテル・ニューグランドで催された。1946年にカリフォルニアに移住する。
(「アルメニア人アプカー一家の三代記」大山瑞代より他)
 
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現在の山手220番だが、これらが当時の門かは不明。
 
5 アルフレッド・デ・プロスペロ(イタリア領事)はこちら
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