先に山手旧居留地は270番で終わりと書いた。確かに1923年の地図を見るとその通りであるが、1943年の外国人の居住リストによれば288番に中国人厳燦猷(料理業 家族2)が住んでいる。

つまり関東大震災以後に271番以降が設けられたことが分かる。元外国人居留地ではなく、山手町が広がったのである。山手本通り225番の隣から始まり、271番から288番はほぼひとブロックである。
 
このブラフ積みから山手本通りの間。
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288番は今も最後の番号で、厳は外国人立ち退きを命じられて移った先は山元町1丁目、まさに隣でわずか数十メートルの移動であった。山元町は立ち退きの対象地域ではなかった。
 
288番8の隣は山元町。
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280番1
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この境界石は判読できないが、おそらく当初からの物であろう。
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以上で1番から始まった『横浜山手町今昔(いまむかし)』は終わりに来た。今後は各地番の情報の追加、新しい視点からの発見を紹介する予定。
 
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