山手本通りに面して、218番と220番があり、その裏に217番と219番があった。
旧217番の場所には現在「共立学園球技コートグラウンド」があるが、学校の住所と同じ214番だろうか。218番は現在「ニュー山手マンション」のみ。

これらの住所、1943年時点にはかなりの外国人が住んでいる。
217番
ルドルフ・ベーシー (船員ドイツ人 家族無し)
ヨアヒム・フォン・マンデル (技師 ドイツ人 家族無し)
 
なお別の史料ではルドルフ・ベーシーの住所(217番)の後に
「静山荘」と書かれている。独身の船員がアパートに住んだことは
想像できる。今ここから遠くない24-3に「静山荘」があるのだが、
関係はあるのであろうか?

218番
胡美貫  (無職 中国人 家族無し)
219番
ウィルヘルム・ブラウン (技師 ドイツ人 家族3)
マリア・スパイサー (無職 ドイツ人 家族1 蘭印引き揚げ?)
ハンナ・フォン・デッケルマン (無職 ドイツ人 家族2 蘭印引き揚げ?)
ジョージ・モス (抑留中 イギリス人 家族無し)
アルフレッド・シモイス (抑留中 イギリス人 家族無し)

220番
カール・レーゲル (大使館雇い ドイツ人 家族4)
リナ・サルター  (無職 イギリス人 家族無し 福島テル方)こちら(アメブロ)
マイケル・アプカー (商会主 無国籍 家族4)こちら(アメブロ)
アルメニア人のアプカーは1941年12月逮捕された際の住所は、210番であった。
1941年のJapan Directoryによれば220番Bとして教会関係の建物だ。
C/O Bishop Heaslett  Church Missionary Society  
 
上高地を世界に紹介したウォルター・ウェストンは、1900年代初頭、聖アンデレ教会の宣教師として奉職した際に、219番に住んだという。(記念碑等無し)
 
また1941年、以下の様な新聞記事も出た。
「東京ベネズエラ総領事でハマが好きで来朝以来10カ年、山手219番から丸ビルの事務所に通っていたハーミニヤ・デ・デルガド氏も、上手になった日本語で愛嬌をふりまきながら帰国した。」
 
220番には現在も二つの門柱が残る。戦前からの物であろうかとも思うが、ここの住民であったルシール・アプカーは、(家は)空襲で焼失したと書いている。
 
右がAで左がBと小さな案内があるが、現在の住所には英語のアルファベットは付かない。よって正式にはどちらも220番-3。
 
220番の門柱。
イメージ 1

離れると二つあるのが分かる。右がAで左がB。
イメージ 2
 
イメージ 3
 
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