かつてはひとブロックがこれらの地番に分かれていたが、今は横浜共立学園中学校・高等学校(212番)に統一されている。
同校の設立は1871年で、ここに移ったのは翌1872年である。ロシア公使のために用意されていた土地だった。1931年にウィリアム・メレル・ヴォーリズによって建てられた本校舎は今も残り、横浜市認定歴史的建造物となっている。
1942年11月30日の横浜港におけるドイツ艦艇の大爆発では、ここ共立学園の窓ガラスをも破壊した。そして皆何事かと校庭に飛び出したという。(当時の在校生が筆者に語った話。)
1945年5月29日の横浜大空襲により体育館、第二校舎、第三校舎、教員宿舎などすべてが灰燼に帰したが、本校舎のみ奇跡的に焼け残ったという。終戦時には横浜港湾警備隊橘部隊が駐留した。
現在(2018年12月)、建物は大改修中で、外からその本校舎の姿を見る事は出来ない。また敷地内には「新約聖書和訳記念之地」の記念碑があるようだが、女子高故になかなか撮影をお願いしにくい、、、下の写真は校門。

校舎に沿った道路。

なおかつての210番には1941年12月の日本参戦時、以下の2名が住んでいて、外諜容疑で検挙された。
マイケル・アプカー (貿易商 アルメニア人 終戦時は220番)
水品浩 (ワットソン社員 日本人)
水品は日本IBM及び、その前身の日本ワットソン統計会計機械株式会社の事実上の創設者だ。
