山手本通り雙葉小学校入口交差点から元町公園前交差点が82番。1921年には一般病院(general hospital)が縦長に奥に向かってあった。
1943年も一般病院は存続し、3名の女性が働いていた。
レザリヤ・トート 修道女 ハンガリー
リシュニネアンナー・マリー 看護婦 フランス
ケテリン・ケーター 看護婦 イギリス
レザリヤ・トート 修道女 ハンガリー
リシュニネアンナー・マリー 看護婦 フランス
ケテリン・ケーター 看護婦 イギリス
また他にも2名の名前がある。やはり病院関係であろうか?
ドイツ人のマグダレナ・ハインラール 商会員 家族無し 女性の名前
ルクセンブルク人のアンヌ・ダレゼー 家政婦 家族無し。
ドイツ人のマグダレナ・ハインラール 商会員 家族無し 女性の名前
ルクセンブルク人のアンヌ・ダレゼー 家政婦 家族無し。
現在は交差点には横浜雙葉学園入口があり、少し先に進んだところにある中学校、高等学校は88番になっている。遡ると1872年に山手58番地で外国人子女教育、及び貧困孤児養育事業を開始したのがルーツ。

少し離れたところからも学校の尖塔が見える。

昔は82番と88番の間に83番、231番があったが、83番はサンモールとして少し場所がずれている。
現在82番-1には冒頭に紹介した「一般病院」の流れを汲む「ザ・ブラフ・メディカル&デンタル・クリニック」がある。
このクリニックのルーツは、1863年(文久3年:リンカーン大統領が奴隷解放宣言を出した年)に横浜の外国人居留区に設立された診療所にさかのぼる。
1945年5月29日、 横浜大空襲 病院周辺は焼夷弾攻撃により、見渡す限り焦土と化したが病院は職員の奮闘により、一部の病室を除き焼失をまぬかれた。
(聖母愛児園 ホームページ他より)
1945年5月29日、 横浜大空襲 病院周辺は焼夷弾攻撃により、見渡す限り焦土と化したが病院は職員の奮闘により、一部の病室を除き焼失をまぬかれた。
(聖母愛児園 ホームページ他より)

