1921年、山手本通りの73番から代官坂上の交差点を元町方向に降りていくと、74番,75番A,7番5Bと続き、76番A,76番Bで再び上がり72番に接する。
75番には1894年から1910年までバプティスト神学校が開校し、今はメモリアルパネルがある。戦時中に外国人の居住はなかった。
75番には1894年から1910年までバプティスト神学校が開校し、今はメモリアルパネルがある。戦時中に外国人の居住はなかった。
現在の73番は大きな邸宅がある。公表された2019年公示地価によると山手町73番ー7は神奈川県の高価格地点の第一位である。今も高級旧住宅地であることは変わらない。


75番の洒落た門柱。

75番のパネル。1884年は山手64番で、75番は書いたように1894年から。

山手76番館 昭和初期建造の木造2階建てとして横浜市認定歴史的建造物。

門柱の「中區」の文字が戦前を表している。

75番と76番の間の敷地境界石はマニアの間では知られた存在。これは居留地時代の遺物。

76番には風見鶏のある家もあるが、この風見鶏は裏の坂下側からしか見えない。

