「ベルリンオリンピックの証人」は書籍化されました。こちらに収録されています。
 
<オリンピック記録映画に映る加藤綾子さん>

日本では2020年の東京オリンピック開催が決まり、オリンピックに対する関心は高まっている。一方今から80年近く前の1936年8月1日、ドイツの首都ベルリンでは第11回夏季オリンピックが開催されたことは、多くの人にとっては生まれる前の話で過去の歴史に属することであろう。
 
本編ではこの出来事が依然現代史に踏みとどまっていることを、今なお元気に暮らす日本人の証言を交えて、紹介していく。

レニ.リーフェンシュタールと言う当時34歳のドイツ人女性監督が、ベルリンオリンピックを題材に『民族の祭典』(陸上競技)、『美の祭典』(水泳など)の2部作「オリンピア」という記録映画を残した。
 
1938年のドイツでの封切りに続いて、日本でも封切り後観客動員数で記録を作ったが、リーフェンシュタール監督がヒトラーに近い関係者であったため、戦後その”名作“ほとんどお蔵入りとなった。

筆者はこのドイツ映画には、競技場で日本選手を応援する日本人の姿が散見されることに気が付いた。場面の構成は概ね選手が出ると、次いでその選手の出身国の応援団を映す形を取っている。
 
日本はこの大会で金メダルを6個獲得するので、これらの場面にはほぼ毎回、観客席の日本人が映ることになる。

筆者は映像をくまなく見て、すべての邦人の出る場面をピックアップした。そうした中で、特に大きく日本人観客が映し出された場面がある。

 
三段跳びで田島直人選手が16メートルを跳び、世界新記録で優勝を決めると、観客席で立ち上がり日の丸の扇子を振る少女が映されるのである。さらに驚いたことには日の丸を振るこの少女は、同じ姿で200メートル平泳ぎの決勝場面でも登場する。

顔は鮮明には見えないが、筆者は咄嗟にこの女性が誰であるか推測できた。当時大倉商事ベルリン支店長であった加藤鉦次郎の長女加藤綾子さんである。筆者は長男の眞一郎さんにはこれまで何度かお会いして話を聞き、「
日本人小学生の体験した戦前のドイツ」としてすでにホームページで紹介した。調べに際して見せていただいていた写真に写るお姉さんと、たたずまいがそっくりであったからである。そして綾子さんは今もご健在である。

40万メートルにおよぶ競技の模様を収めたフィルムから6千メートルに編集して、「民族の祭典」「美の祭典」が作られたという。つまりほとんどが編集段階でカットされてしまったわけである。すべてのフィルムをチェックするだけで、リーフェンシュタール監督は2ヶ月間、毎日10時間以上費やした。

“前畑ガンバレ”の放送で日本中を沸かせた200メートル平泳ぎで優勝した前畑秀子選手の活躍は、レニの目にかなわなかったのか、映画には入らなかった。しかし加藤綾子さんが応援する姿はこの編集過程を経て入った。しかも2度も。
 
スタジアムの収容人員は10万人を超える。その中からどういう経緯でピックアップされたのであろうか?また彼女はその場で撮影されたことを知っていたのか?

本編ではこうした疑問に答えながら、お父さんの仕事の関係でベルリン居住者であった綾子さんの見聞きしたことを中心に、お借りした写真を交え、ベルリンオリンピック及び当時の在留邦人について振り返るものである。
 
第一部以上
 
続きは書籍でお楽しみください。
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