「スイスにはすでに朝日新聞の笠信太郎氏(元論説委員)が早くから来ていて、日米和平に活躍していた」と紹介している。
「一七○号 スイス武官発次官,次長宛て
以下は朝日新聞特派員笠信太郎の時局分析である。分析は的確なので、我々は我々の交信に入れる事にした。海軍で参考にした後、内閣顧問の緒方氏に渡してください。
アメリカの権威筋は最近“日本からの和平の提案は無い”と語ったが,ドイツ降伏時には見られなかった現象だ。アメリカの世論が平和を求めている証拠である。同時にアメリカの権威も同様に、毎日日本の提案を待っていると解釈できる。
こうした状況に照らしてみると、もし我々が直ちに和平の提案をすれば,アメリカは比較的好意的条件で直ちに受け入れると言う印象を与える。しかしながらポツダム会談が最後の黄金の機会である」
藤村が東京を説得するため、識者である笠を引っ張り出したといえる。藤村はこの日米の交渉と言う晴れ舞台に、登場したくてたまらなかったのかもしれない。しかしこれらの電報は効果がなかった。七月二十二日、海軍は次の様に西原に返電した。
目下日本は全力を挙げて、戦争の継続に努めている。最近の敵プロパガンダの性格から判断して、敵が困難に直面していることが窺われる。海外の海軍出先は慎重に行動し、軽率な行動は慎むように」と紋きり文章で、藤村を落胆させるに十分な、内容であった。
これを取り上げたマジックサマリーの脚注には
「加瀬公使自身も外務省に対し、前国際決済銀行のパー.ヤコブセン博士と北村孝治郎同行理事の、和平を探る話し合いについて報告している。

実はこの時スイスでは、陸軍の岡本清福陸軍武官を中心とする和平の動きが、平行して進んでいた。相手は同じダレス機関であった。ロシアの仲介を当初は主張した加瀬公使は、岡本ー北村ーヤコブセンルートを影で援助していた。
海軍も陸軍も、スイス公使館内に事務所を開設していた。加瀬は藤村とも毎日顔を合わせていたにもかかわらず、藤村らの動きは全く知らない。東京から、自分の公使館内藤村の工作を聞いた加瀬が、これを真剣に取り上げなかったのは、後に紹介する外務省への報告電に、見る通りである。
<命令受領>
「ああ、我ら一同は東京に人なきを痛感した。(中略)それにしても海軍大臣より正式に外務大臣に廻り外交交渉となる事を喜んだ」
と無念さを書いている。文春手記の一つのクライマックスを形成しているが、七月二十六日日電一七五号によれば事実はこうだ。
一.私は帝国の政策と、海軍の視点を十分に理解しております。私はこれまで不注意な行動をとったことはないし、将来もないでしょう。
二.私は戦争の推移に関係なく、敵との間接的連絡を保つことは意義深いと考えます。この連絡路を通じ、捕虜の問題など話し合うことができます。
と自分の見つけたルートに未練を残しつつも、海軍の指令に恭順を示す電報を打っている。意外に冷静な反応であった。そしてスイスにおける海軍の和平工作は終了する。
七月二十六日、米英中首脳によりポツダム宣言が出される。日本はその受諾に向け、動き出した。日本でも終戦が決定的となった。もう藤村の出番は来なかった。
<OSS文書>
「合衆国外交関係文書集 一九四五年」を見ると、OSS長官代理G.エドワード.バックスタインが六月四日、国務長官に宛てた報告に藤村が、最初に登場する。藤村が第一電を送る一日前である。
「この情報の源も、前と同じ反ナチ親日の極東通ドイツ人であります。情報源は藤村に接触しています。藤村は在欧日本海軍の代表の一人で、前ベルリン軍武官補佐官でありました。藤村は日本海軍大臣と、直接且秘密の通信連絡をもつと伝えられ、また日本政府の信頼を得ていると信じられます。
藤村は、情報源に対し、日本政府を今やコントロール(?)している海軍部内の一派は、共産主義と混乱を防ぐため、天皇を保持する必要を特に強調していると言います。
藤村は日本が基本的な必要食料を自給できず、砂糖と米とを朝鮮に依存している、と強く主張しています。彼はまた、必要食糧輸入のため、商船隊の保持を日本が必要としていると主張しています」
ハックは、藤村ルートを有望と強調したようだ。それが「日本海軍大臣と、直接且秘密の通信連絡を持つ」という表現になった
ハックを通じての藤村の提案は、こうしてアメリカの中央に届いた。ダレスとしては報告する事で、間接的であれ藤村側と接触をする(言い分を聞く)承認を得た。これが藤村の日本に報告した「ダレスは政府の承認を得た。日本からの返事はまだか?」という根拠であった。
そして自分が独断で和平の条件を持ち出した後も、いっさい日本に報告しなかった。ひたすらスイスで交渉に入ることの有利を訴えた。独断先行と断罪されてもしょうがない。
藤村は戦後「ダレス機関からではなく実際は自分の方からダレスに接触した」と手記の内容を訂正した。これは事実であろうか?
OSS電には「情報源は藤村に接触しています」とある。この文面通り、ハックがまず動いて藤村に接触したというのが本当ではなかろうか?
そこで約一ヶ月後、ハックは対象を藤村に代えて接触し始める。藤村は加瀬と違って、行動的であったのはすでに見てきた通りだ。
このようにスイスでの海軍による和平の動きは、藤村でもダレスでもなく、日本に恩を感じるハックのイニシアチブによるものであったと考えるべきであろう。