菓匠将光のおだんご
自分を知るは、楽しい!
昨日のイメージセラピーの
ワークに引き続き。
ワークの内容は
こちらの電子書籍からの引用です。
よかったら、皆さんも一緒に
想像してみてね。
不幸はいつも隠されている
一つの部屋に、全く無関係な人々が
あなたを含めて20人集められたとしよう。
全く機械的に集められたのだ。
さて、その20人に不幸な順に
並んで下さいという指示が与えられた。
あなたは何番目だろうか。
そしてその理由は何だろうか。
なぜあなたは後ろの人より不幸で
前の人よりは幸福なのだろう。
不幸はいつも隠されているものだ。
明らかになった時、
不幸は課題や挑戦に姿を変える。
隠されているから
暗闇の中でいつまでも
人を支配し続けることができるのだ。
あなたが不幸な理由は何ですか。
このワークでは
後ろから三番目にいる自分が
思い浮かんだ。
つまり、部屋に20人いる中の
18番目に不幸なのが私。
それはなぜだろう?
私の前に並ぶ人たちより
自分が不幸でない理由。
イメージの中で
私の前にいる人たちを観察し
その人たちの世界を感じてみる。
私の前にいる人たちは
世界の在り方や
自分の存在価値に対して
なんらかの確実な否定的な想いと
不満を持っており
愛せない許せない何かの数が
多い順に並んでいる。
じゃあ私は?
自分にとって、苦手なことは
たくさんあるけれど
それらも含めて全ては完全だと感じていて
自分よりも前に並ぶ人たちほどには
否定や不満や不足を感じていない。
どんな体験でも、結局は
魂の積み重ねる経験として
得難いかけがえのないものだと
感じている。
前に並ぶ17人の人たちよりは
愛せない何かや
許せない何かが少ないみたいだ。
だからより満たされていて
私は幸せなのだと捉えている。
犬山城下町のジェラート
私のすぐ後ろに並ぶ人…
19番目の人と私とでは
いったい何が違うんだろう?
後ろにいる人よりも
私が不幸なのは
どんな点なのだろう?
私の後ろの人を
イメージの中で感じてみる。
なんだかキラキラしているな。
私のすぐ後ろに並ぶ人は
私よりも「自分らしさ」を発揮できていて
私よりも「自分を愛せている」人
だという感じがする。
そして一番後ろに並ぶ人
20人中20番目の、この部屋の中で
一番不幸でなく
一番幸せなその人は
全くもって不足の意識がなく
自分らしさもフルに発揮できているし
全力で自分を愛せている人だ。
もはや、細部のシルエットがわからず
まばゆい光そのもののような感じがする。
中枢的感情欲求の全て…つまり
・愛されたい
・理解されたい
・守られたい
・有能な人間になりたい
(いろんなことができるようになりたい)
・自分の感情や思いを自由に表現したい
・のびのびと動き、遊び、楽しみたい
・自律性をもって、自分をコントロールしたい
という誰しもの
本能的で根源的な欲求を
全て自分で自分に応えて
与えてあげられる
自分で自分を完全に
満たしてあげられる人なのだ。
そして、自分自身でそれを
満たしてあげられるからこそ
人にも同じ力を
手渡してあげられるし
オールOKで、繋がりたいものと
自然体で繋がれる。
そんな存在。
このワークで気づけたのは
私の中にある幸不幸の基準と
私の中の隠れた不満や不足感と
不幸の裏にある願い。
そして自分が理想とする
「幸せ」な状態が
どんなものなのか、ということ。
そっかぁ。
もっともっと
自分を発揮したいのに
できていない感じがする。
だから発揮したい!
もっともっと
自分を愛せるはずなのに
できていない感じがする。
だから愛したい!
私はそんな風に
不足や不満を感じていたのね。
そしてそれは、今の私の
課題や挑戦のテーマ。
まだまだ、こんなもんじゃないだろ?
ってさらなる深い何かや
のびしろを追いかけている感じ。
そんでもって
精神的にPERFECTに自立した
完成された個になりたい、という
自分の理想像を設定しているんだなぁ…
なんてこともわかりました。
マジかよ。楽しい。笑
どこまでも
本来の自分らしさをいきいきと
十分に表現して生きて。
自分や世界をこよなく
愛せれば愛せるほど、幸せで。
本来の自分らしく十分に生きられず
自分や世界を愛せないことが
私にとっては、不幸なこと。
※あ!
これはあくまで自分に対する
幸不幸の基準で
周囲の人にそれをあてはめて
考えてるわけではありません。
何が幸せで不幸せかは人それぞれだし
私のこの観点からは
幸せではなさそうに見えても
本人はいたって幸せ🩷
ってことだってありますしね👍
皆さんは、何番目に並びましたか?😂
どんな不幸が隠れていましたか?
あなたの幸不幸の基準は
どんなものでしたか?



