終日雨の降り続ける今日だけど
写真は晴れ空に向かう
我が家のヤマボウシ


 

 

 

先月末、アマゾンの

Kindle Unlimitedがお安くなっていたので

月額240円で済む二カ月間の予定で契約。

 

 

タイトルを読んだ時

なんとなく感じるものがあったので

レンタルしてみた書籍。

 

 

 

 

ゲシュタルトセラピーをベースに

誰でも簡単に内観に取り組みやすい

51種のイメージワークを

紹介している内容。

 

よく見たら、ゲジュタルトって

表紙の出版社の表記が誤字っててジワる。笑

 

ゲシュタルトセラピーについては

よく知らないんだけれど

ざっくりな私の理解では

 

身体や心の中のはしばしに

ばらばらに存在している

漠然とした感覚や感情を整理し

 

「今ここにある自分」へと

一つにまとめていく過程で起きる

「気づき」を大切にすることで

生き方の巡りを良くしようとするセラピー。

 

って感じで捉えています。

 

 

 

本文はシンプルな易しい語り口で

詩を読むように、心の中に

目を向けさせてくれる文体で

 

そっか。

こういうアプローチもありなのか。

と目からウロコでした。

 

いずれも想像力をきっかけに

体験や記憶を探ったり

自分の中の〇〇な感じ

拾っていくセラピーです。

 

 

これがけっこう、面白かった。笑

 

 

例えば本書の3番目のワーク。

 

 

 

子どもの頃、遊んでいて

一番楽しかったのはどんな時だろう。

 

一人で遊んでいた時だろうか

仲間と遊んでいた時だろうか

 

その時の事をよく思い出してみよう。

 

場所はどこだろう。

 

あなたの服装はどんな風だったか

近くにいたのは誰と誰だったろうか。

 

落ち込んでいる時や

自分が何をしたらいいか

分からなくなった時は

 

子どもの頃、一番楽しかった時のことを

思い出すと良い。

 

あなたがその時発揮していた力は

どんな種類のものだったろうか。

 

どんな役割をあなたは果たしていたのだろう?

 

あなたが幸せを感じるために必要な

すべてのものが、その記憶の中に

含まれている。

 

 

 

私であれば

 

子どもの頃、一番楽しかったのは

家の中で落書き帳に向かって

一人でひたすら

絵を描いていた時だった。

 

 

 

 

自分の世界に没入して

自分の心の中にある

なかなか表に出せない感情や感覚や

イメージを

絵や色によって描き出そうと

夢中になっていた時。

 

あるいは、周囲の好きな人やものを

何かのシリーズに例えて描く、

ということをしていた時。

 

赤ちゃんや動物、

植物や自然現象、妖精などに

例えるのが好きだったし

楽しかったな。

 

 

    
昔描いた絵シリーズ①
 

好きだった児童書のキャラクター

 

とりわけ幼い頃に

何度も繰り返していたのが

 

怒っている顔を描きながら

自分も同じように怒っていたり

笑っている顔を描きながら

自分の顔も笑っていたり

泣いている顔を描きながら

自分も同じように涙を流すこと。

 

 

自分の中に押し込めた感情を描きだして

それに改めて自分を重ねる。

描き出しては、自分の気持ちを確認し

昇華していたのかな。

 

誰にも自分の本当の感情を

素直に示すことができないかわりに

そういうことを何時間でもやっていて

自由帳を何冊も書きつぶした。

 

 

    

昔描いた絵シリーズ②
 


愛おしむような
ふんわり優しい表情♪

 

 

服装はふつうのTシャツに

薄手のジーンズといった

リラックスした

カジュアルでラフな姿だったな。

 

机に向かっている時もあれば

寝そべった状態で描いている時もあった。

 

 

お絵描きに熱中している最中は

まったく周囲の音が聴こえず

周囲の動きも目に入らなくて

 

何度呼んでも反応しない私に

しびれをきらした母親に

強くゆすられたり叩かれたりして

 

やっと、ハッと現実に戻ってくるような

そんな感じだった。

 

 

 

    

   

昔描いた絵シリーズ③
 



ドラマの芦田愛菜ちゃん

 

 

 

その一人でのお絵かき遊びに

役割があるとするのなら

 

自分の内側の深い部分にある

言葉にならないもの

簡単には表に出せない

本当の気持ちを

 

イメージとして捉え

絵や色などの一種の形にしたものにして

 

外に出してあげよう…

外に出してあげよう…と

 

自由にしてあげて

のびやかにさせてあげて

すっきりさせてあげようとする

 

自分のための探究とか、解放とか

癒しとか…昇華とか。

そういうものだったように思う。

 

 

    
昔描いた絵シリーズ④
 

 

 

って、それってさ。

 

・・・。

 

 私が今ハマっている

イメージワークと同じやん😂

 

 

 

 

もちろんその頃は

何も深く考えていなくて

心のままに楽しみ

繰り返して

没頭していただけなんだけど…。

 

 

ただ絵を描くのが好き、という

単純な作業の楽しみではなく

 

自分の内側にあるものを

絵や色に投影することで自覚して

解放するための

お絵描きだったのだと

今ならわかる。

 

 

 

当時、母親は

3人の幼い子どもたちの

ワンマン育児でのストレスで

おそらく育児ノイローゼみたいな

状態だったんだと思うのよね。

 

幼稚園~小学校中学年くらいまでの

母親の感情の起伏の嵐や

激昂は特にすごかった。

 

てっきりどこの母親も

常にイライラしていて

急にヒステリックに怒り出し

 

感情や言動にあまり一貫性がなくて

 

怒っている時は

感情のままに何をしてもよく

 

物をぶん投げたり壊したり

子どもを叩いたり蹴ったり

引きずり回したりするのが

世の標準かと思っていたよ。笑

 

 

 

そんな状態だったので

私は自分の素直な気持ちを

受け止めてもらえる

温かい受け皿の役目を

母親に求めていたけれど

 

実体験としては

 

自分の想いを素直に表現したり

言葉にして伝えること=

 

相手の機嫌次第で

はねつけられたり

否定されたり

暴力をふるわれるもの

 

という危険な行為として

母親との関係で

学習してしまったんだよね。

 

 

だから小さな頃から

自分の本心や感情や願いよりも

相手に合わせながら従順に行動して

相手の感情が平和であることを

優先するようになり

 

自分の本当の気持ちは

誰にも伝えずに心の奥底に

しまいこんで隠しちゃうように

なっちゃったのだろう。

 

ただ、それは別に苦ではなかった。

 

思春期にさしかかり

自分らしい自我や自由意志を求める

気持ちが肥大してくるまでは

 

私が相手に共感や肯定を示して

相手のしてほしいことをして満たすことで

相手が穏やかで平和でいることが

私の安心であり、喜びだったのですよね。

 

 

でも、人にも自分にも

心にうそをつき続けることは

何かしら少しずつ心の奥を

壊したり混沌とさせていくことでも

あったんだと思う。

 

 

悲しい時やつらい時には

自分は楽しいと言い聞かせて

楽しんでもいい時には

自分の中の悲しみに目を向けて

楽しまないようにしていた。

 

 

そんなあまのじゃくなことを

心の内で行い続けて

人が自分に望むものや期待が

自分自身の望みであるように

思い込み続けていたら

 

だんだんと

自分がわからなくなってゆき

蓋をしてきた自分の感情が

内側で荒れ狂うようになった。

 

それはまた

子どもの頃とはまた違う

誰もが自分を確立し

大人になろうとあがく年齢での

出来事だから、別の段階のエピソード。

 

 

とにかく幼少期の私は

白い頁に描くたくさんの人の顔の

さまざまな表情や、

色鉛筆で塗り重ねる色に

自分が本当に感じたかった気持ちを投影して

そこでやっと自分の想いを

素直に表現できていたんだろうね。

 

 

それが、自分にとって楽しくもあるし

切実に必要なことだったのでしょう。

 

 

なるほど。

 

私の幸せや楽しい、の原点は

 

自分の本当の気持ちや想いや願いを

すくいあげて、ちゃんと表現してあげること。

それを自分自身で温かく

受け止めてあげること。

 

なんだ。

 

 

とまあ、こんな感じに

するするする~と自分の中の

ふだんはさほど意識していない想いや願いが

ワークによって引き出されてゆくわけ。

 

 

そしてそれは切なくて、

楽しくて愛おしい作業なのです🥹✨

 

 

しばらくはこの51のワークの内容を

記事ネタにして

文字綴りのリハビリ&トレーニングにしようかしら。

 

 

皆さまが子どもの頃、遊んでいて

一番楽しかったのはどんな時でしたか?