の続きです。
先に上の記事を読んでいただけると
わかりやすいかなと思います![]()
戦国時代の美濃国で(今でいう岐阜。私の今の居住地です)
大名・斎藤道三の息子でありながら、
父、道三を討った「義龍(よしたつ)」と
その息子「龍興(たつおき)」に仕えた武将、
「長井道利 (ながいみちとし)」
というひと。
私の過去世にあたる人物かもしれない、という前提で
話をすすめていきますね。
道利がこうして私に「書かせたいこと」は
年若くして 美濃斎藤氏を継ぎ
一国を率いることになった
「斎藤 龍興」について、です。
「龍興」のエピソードとして、有名なのは
家臣であった「竹中重治」(のちに豊臣秀吉の参謀となる「竹中半兵衛」)に
「居城(今の岐阜城)」を乗っ取られ、逃亡する、というものです。
このとき「龍興」は、酒色に溺れ
一部の側近だけを寵愛し
実力のある家臣を遠ざけ、政務を顧みなかったので
部下である「竹中重治」らに愛想を尽かされた…と
そのようなエピソードになっています。
私も、実際にどうであったか なんてことはわからないので
あくまでこれは 私に「道利」が伝えてくる「想い」の感覚で
記述するものですが
龍興は、そのような人物ではありませんでした。
父・義龍を亡くし、齢14にして美濃国の大名となった龍興。
この14という数字は数え年で
実際には今でいう12~13歳くらいだったという感覚があります。
確かに、武将としての実力はなかったのです。
それは、先に述べた若すぎる年齢によるものでもありますし
生来の気質としても、穏やかで争うことが嫌いな
「戦(いくさ)」向きの人物ではなかったということもあります。
(これは後にも述べますが、龍興は「武人」というよりも
むしろ「文人」としての才気ある少年でした)
トップの若さに
自分たちの将来を危ぶんだ家臣たちが
まるで手のひらを返すかのように、次々と敵方へと離反していく中、
運命を受け入れ、けんめいに、自分にできることを全うしようとしていた
真面目な少年でした。
酒色に溺れて政務を顧みず…というエピソードは、
当時、竹中重治らが
自分たちの「乗っ取り」が「正当なこと」であると示すために
捏造したものです。
一部の寵臣だけを側におき…というのは
「龍興」が遠ざけたのではなく
他の家臣たちの方が、
若く力のない「龍興」に距離を置いていたのです。
戦国時代は「下克上」の繰り返されていた時代でしたが
けして「なんでもあり」ではなくて
武士たちは 謀略の渦巻く中でも「道理」というものを重視していました。
(それがあくまで、そういう「体面を保つ」ための形だけのものであったとしても)
たとえ、力でのし上がったとしても
その理由が「武士道精神における正義」に叶うものでなければ
人望は集まらず、白い目で見られるわけですよ。
そして、それはのちに「自分が討たれる理由」にも繋がってしまう。
ですから、「下克上」を起こす時というのは
こじつけでもなんでも、「そうするだけの、正当な理由」
というものが必要だったのです。
(逆にいうと、この「正当な理由づけ」という手間を
やすやすと無視して飛び越えていける人たちは
ある種の新しい才覚の持ち主だったのではと思います)
(形にこだわらない、新しい戦術を考えたりね)
乗っ取りの際に「竹中重治」に斬られた「斎藤飛騨守」は
忠義に厚い優しい男でしたよ。
家臣たちが龍興を見限りはじめ、皆が距離を置いてゆく中
龍興の側にい続けた家臣でした。
「斎藤飛騨守」には
体が弱く婦人のような容貌をしていた「竹中重治」を侮蔑し、
小便をかけたことがあると…その私怨により竹中に斬殺されたという
エピソードが残っています。
「飛騨守」はそのようなことをする人物ではない、というのが
私の中でこみあがってくる涙の感覚です。
史実や史料にはけして残らなかった忠義の形や
必死で生きた少年の若い誠意が
むしろ、その逆の形で現代に遺されていることが
「道利」は無念で、悲しかったのでしょうか。
道利が、なぜこれほどまでに「龍興」のことを想っているのかというと
前回の記事で述べましたとおり
息子のように思える年齢差であったこと、
龍興の父・義龍が死んだのは、
自分が肉親を討たせたことによる天罰なのではないか
という罪悪感、
そうならば、義龍に代わって龍興を守り
立派に育てていくことが自分の責任である
という想いと、もうひとつ…
「道利」は「龍興」の内面に、
自分と「似たもの」を見ていたからだったのではと
思います。
戦国時代という過酷な時代に生まれたからには
「道利」自身も、綺麗ではないことに手を染めましたが
争いが嫌いで、人を傷つけることが嫌いで
武勲を立てることや、戦の技術を磨くことよりも
書や絵、文学・芸術に、
美濃の豊かな自然に、ただ親しんで生きたかった…
表には出していなかったようですが、そんな想いを抱いていたと
そのような感覚があります。
龍興のエピソードに、畿内在住時に「キリシタン」を目指した
というものがあります。
キリスト教宣教者の「ルイス・フロイス」に
優秀な人物だと認められていたとか…
私、当初はこのあたりのくだりに
涙アンテナがかなり反応していましたね。
そう、そうなんだ。という強い想いがこみあげてきて…
「道利」もこの時、龍興の側にいて、
同じようにキリスト教を学んだという気がするのです。
キリスト教が説いていた(実質はどうかって部分はあったにせよ)
「愛や平等、平和、ゆるし」の世界というのが
当時の自分にとって、ひじょうに衝撃で
心に響くものだったのですね。
織田の侵攻を受け、美濃国を奪取され逃亡しても、
織田勢力に下ることなく、ずっと戦い続け
龍興は26歳で戦死しました。
生存説もありますが、涙アンテナは26歳での戦死のほうで反応し
その最期を、自分は知っているという感覚があるので…
きっと、「道利」が愛し、側にありつづけた「若い主君」は
若いまま、青年のまま、きっと生涯を終えたのだと思います。
ここまでに私が書いたこと。
それは、信じる、信じないも自由の話。
だけど、
「暗愚の将」としての逸話を現代に伝えられてはいても
「戦国時代」という過酷な時代に若い一生をささげ
不憫な境遇にけして心負かすことなく
誠実にあろうと駆け抜けた「斎藤 龍興」という男がいたことを
どうか、心に留めおいてくださったなら…
深く、深く、幸いに思います。
