✩伝えたいことがあります。

「風火家人の道」

「視えない世界とタッグを組んでいこうよ」

 

4/10~

占術&言霊メッセージですが

集中する時間ができる5月より、制作を再開させていただきます。

お待たせしているオーダー主さまには誠に申し訳ありませんが

よろしくお願いいたしますあせる

 

きらきら花きらきら花きらきら花きらきら

 

「戦国時代」に生きた過去世の話を綴ります。

 

以前、岐阜市の「金華山」を訪れた際

下山の時に

金華山と岐阜城の歴史を紹介してる「パネル」に

さらっと目を通したのですが…

 

その時に、パネルの案内文に記されていた

「斎藤 義龍」「斎藤 龍興」

という武将の名が妙に気になり

特に「斎藤 龍興」という名には

涙アンテナが微かに反応したので

 

(私、過去世で斎藤氏に関連があったのかもしれない)

 

とは推測していたものの。

 

「戦国時代」という下克上と戦乱の時代に

まったく興味が湧かないこともあり

それ以上を調べることはなく…

 

先日、橿森神社の境内社である

「信長神社」に参拝しようとした際に

信長神社にいらっしゃる方から

「手を合わせなくてもよい」

と配慮?されたことを受け

 

(なぜ??)

 

と疑問に思ったとき

 

ああ。そうだ。

昔、織田信長とは敵対してたんだ。

とふっと想いの記憶がよぎったのでした。

 

信長神社にいらっしゃる方は、おそらく

私の魂の中にある、未浄化の過去世人格の心情を

慮ってくださったのでしょう。

あるいは、向こうさんも かつてこちらとは色々あって

そっと距離を置いておきたいという心情があったのかもしれません。

 

(信長神社には、織田信長ご本人はいらっしゃらないと思うけど

おそらく、織田家に縁のある方が在中しているのではないかな?

家臣のどなたかとか…)

 

このことを機に、少し自分の過去世に興味が出て

記憶の引き出しの「刺激」となる情報がないか

「斎藤氏」について調べてみたのでした。

 

「斎藤氏」で有名なのは

美濃の蝮(まむし)と呼ばれた下克上大名

「斎藤道三」ですね。

美濃(今の岐阜のこと)の国主でした。

 

その道三の息子に

「斎藤 義龍(さいとう よしたつ)」

↑パネル文読んだときはてっきり「ぎりゅう」かと思ってた。

その「義龍」の息子に

「斎藤 龍興(さいとう たつおき)」がいます。

 

過去世の私は

この二人に仕えていたようなのですが

「斎藤 龍興」の方に

何か、深い想い入れを持っているようでした。

 

斎藤道三は、娘の帰蝶(濃姫)を織田信長に嫁がせ

織田家とは友好関係を築いていましたが

息子・義龍が斎藤氏を継承してからは

織田家とは敵対関係を保ちます。

 

道三と義龍は「父子」という関係ですが

史料によると、ひじょうに「不仲」であったとのことで

義龍は、父である道三を討伐しています。

 

この「息子による父親の討伐」の経緯については

さまざまな逸話があるようですが

私の感覚としては

「斎藤義龍」のWIKIにある

 

『国内政治を省みない道三の施策を批判した

重臣たちによって行われた 強制的な当主交代』

が正解だと思います。

この経緯の中で、義龍とその家臣は

道三側についている兄弟たちも手にかけています。

 

義龍は才覚のある男で、

国内政治にも腕をふるいましたが

家督を交代してわずか数年で、病に倒れ亡くなってしまいます。

そこで家督を継いだのが

当時、弱冠14歳だった「斎藤 龍興」でした。

 

私の記憶のほとんどは

「斎藤 龍興」への想いに占められていました。

家臣という立場ですが、親子ほども年が離れており

自分は、この「龍興」という主君を

まるで「息子」のようにも思っていたという感覚があります。

また、彼に対してなんらかの

「責任」のようなものも感じていました。

 

義龍、そして龍興に仕えた家臣の名を調べていくうちに

もしかしたら私の過去世は

この人物ではないか…??と思う武将に行きあたりました。

 

「長井道利」(ながいみちとし)

 

マイナーな武将で

一番、自分の記憶に合致する立ち位置にいて

名前の響きが、不思議と違和感なく

するっと胸の中に入ってきたのが

この武将だったのです。

 

ただ、涙アンテナは反応するようなしないような…

よくわからないものだったので

自信はないのだけど(^_^;)あせる

他のスピ話と同様、そんな可能性もあるのかもな~

くらいにお読みくださいねウサギ

 

調べている最中には、

斎藤氏にくみしていた家臣の名前のいくつかに

(知っているような気がする)感があり

涙アンテナが反応し、

切ないような懐かしいような感覚があったのは

「塩屋秋貞(しおや あきさだ)

「長井衛安(ながい もりやす)」でした。

単なる家臣仲間という以上に、

友人的な親交があったのかもしれません。

なにか、この二人には好ましい想いを抱いていたようです。

 

「塩屋秋貞」は、面白くひょうきんな男だったと

「長井衛安」は、穏やかで思慮深い男だったと

なんだか、そんな気がするのです。

 

「長井道利」についてのwikiです。→こちら

 

読んだからといって、

そうそう、こんなことがあったよな、と思うわけでもなく汗

ただ、城主であったとされる「美濃金山城」の

跡地の写真を見たときは、アンテナが反応し

胸が震えました。

 

斎藤義龍に、

「道三」や「道三の息がかかった義龍の異母兄弟」を討つことを

提言したのは、長井道利であったと書かれています。

従来の説では、「奸臣」的に見なされているみたいです汗

 

「奸臣」と呼ばれるのは不本意ですが

確かに義龍にそのように薦めたのは、

自分であったとそのような感覚があります。

しかし、先にも記述した通りで

けして下克上だとか、美味しい汁を吸いたいとか

そういった目的でも独断でもなく

志を同じくする者同士、皆で話しあって決めたこと。

「美濃の国」のことを想っての決断と進言でした。

「斎藤道三」は戦乱の世でのしあがっていった「やり手」ではありましたが、

過去世の自分には、

国政者としての力や、人格的な部分に

尊敬できないところがあったようです。

 

だからこそ、父を討ち家督を継いだ義龍が

その後、わずか数年で病死したとき

「これは、天の与えた罰なのか」

「義龍が急死したのは、血を分けた肉親を殺させた、

自分のせいなのではないか」

という想いにかられ

親を失い、幼くして領主となった義龍の息子、

「龍興」と「斎藤家」をどこまでも護ってゆかねばならない、

自分にはその責任がある、そのように感じた

そんな記憶の感覚があります。

 

「斎藤龍興」は、現代に残るエピソードから

「暗愚の将」と評されています。

 

今、私がこうして過去世の記憶?を探りながら綴っているのは

どうも『そうではないのだ』ということを書きたいから、のようです。

 

長くなりましたので、

続きは別記事に改めますね。