心理カウンセラー ひらいなずです
時に人は、裏切られた後
また信じようとしている自分に
気づくことがある
懲りないなと思う
また同じことになるんじゃないかと思う
それでも
信じたいと思っている
この感覚は
弱さじゃない
信じることができる人間だという
証明なのである
でも
裏切られた後に「また信じよう」とするとき
ふたつの全然違う状態がある
ひとつは
傷が癒えないまま
怖さを押し込めて
「信じなければいけない」と
自分に言い聞かせている状態
これは
信頼じゃない
怖さを見ないようにしているだけだ
もうひとつは
傷と向き合い
痛みをちゃんと感じた上で
「それでも信じていく」と
選んでいる状態
これが
本当の意味での信頼だ
この違いは大きい
前者は
また同じことが起きたとき
深く傷つく
なぜなら
怖さを無視したまま
信じようとしているから
自分の感覚を
裏切っているのは
自分自身になるのである
後者は
また同じことが起きたとしても
「自分は感覚を持って
それでも選んだ」という事実が残る
傷つくかもしれない
でも、自分を裏切っていない
裏切られた後に
また信じるかどうかを決めるとき
「信じるべきか、信じないべきか」より先に
「自分の感覚はどう言っているか」を
聞いてほしい
身体が感じる安心感があるか
違和感はないか
怖さを押し込めていないか
感覚が「大丈夫」と言うなら
信じていい
感覚が「何かが違う」と言うなら
その感覚を大切にしていいのである
信じることは、美徳じゃない
自分の感覚と一緒に、選ぶことだ
裏切られた経験は、
人を信じる力を奪わない
自分の感覚を
信じる力に変えていけるのである
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