自分らしく生きる | ほんとうの自分らしさに気づく  らしさナビゲーター響子のブログ

「もっと願っていい」



そう自分自身に許可がおりてから、

私は、自分が思っていた以上に


何かを望むことに
制約をかけていたことに気づいた。







その一番の理由が、
望んだ瞬間に、結果のことまで
考えてしまっていたからかもしれない。



たとえば、昨日書いた

「有名になりたい」

という望み。


本当は、

「有名になりたいなー」

以上、まる、

で終わっていいはずなのに、


それを望んだら、

「もっと頑張らないといけない」

とか

「そうならなかったら格好悪い」



とか



望みが生まれた瞬間に、
結果や評価の話へと頭が飛び、
自分にプレッシャーをかけていたんだと思う。



「望むこと」と「結果」が、

セットになっていたみたい。



だから冷静に


「願望は見極めなければいけない」
「でないと、痛い目にあうぞ!」


と、無意識に願望を

フィルターにかけてしまっていたんだと思う。



でも、今は無責任に

こうだったらいいなー
これが欲しいなー
こうしたいなー



って、ただ自由に
自分に望ませてあげられるようになった。


その軽やかさたるや、自分でも驚いている。


望むこと、って
誰にも迷惑をかけないし、
誰かから許可をもらうものでもない。


ただ、

「私はこうがいい!」

って、自分が内側で勝手に思うだけ。


それなのに、
人ってそんなところにまで
制限をかけてしまうものなんだね。



そうそう、ブログを書いていて、
「願い」と「望み」の感触の違いも、
より感じるようになって。


「願う」は
どこか未来へ向かっていくもの。

いつか叶ったらいいな、
と遠くに差し出すような感じで。


「望む」は、もっと自分に近い感じ。

今、この瞬間から

「あ、こっちがいい」

って、自分の内側からどんどん湧いてくるもの、

放たれるもの、というイメージ。



たぶん、私が今取り戻したかったのは、
この「望む」という感覚なんじゃないかな、

と思っている。



望むことは、
未来を決めることではなく、
今、この瞬間に湧き出るもの。


この、たった今自分から発露した
大切な欲望を、もっともっと、

自由に感じさせてあげたい。




望みは、叶えるためにあるんじゃなくて、
自由を感じるためにあるのかもしれない



そんな風にすら、今は思ってる。

 

 



 

 

 

 

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