対等でいる、ということ。 | ほんとうの自分らしさに気づく  らしさナビゲーター響子のブログ

先日、この記事を書いて、

気づいたことがあった。






それは、相手が強めの口調で
自分との反対意見を主張してきたとき、


「何を言っても無駄だ」と思って、


「自分はこう感じた」
「もっとこうして欲しい」

と、自分の気持ちを相手に伝えることを、

私は随分と長い間怠ってきた、ということだ。





振り返ってみると、
これはおそらく、
親との関係の中で身につけた癖だった。




子どもの頃、
拙い言葉で自分の意見を言っても


「それは間違っている」
「子どものくせに偉そうなこと言うな」

と、すぐに跳ね返された。



言い返すたびに、
悲しさと虚しさだけが残る。




あぁ、そうか。
相手と同じくらい強い主張ができなければ、
自分の気持ちは口にしてはダメなんだ。
黙ってやり過ごす方が安全なんだ。


無意識のうちに身に着けた、

いわば「処世術」みたいなものだった。



大人になって、
自分を本気で生きようとしたとき、
その癖はさらに強化された。



「もう、勝ち負けの世界で生きるのはやめよう」


そう思った瞬間から、
ますます他人に、自分の正しさを

主張する必要性を感じなくなり、


相手が正しさを振りかざしてきたとき、
スッと身を引くことが、習慣になった。



でも、夫との関係は
そううまくはいかなかった。



夫が感情的になったとき、
私はこれまで同様、黙ってやり過ごそうとした。


表面上では「そうだね」

と同意するふりをして、
相手の怒りが収まるのを待った。




でも、

その時置き去りにされた自分の感情は、

心の奥底に少しずつ蓄積されていった。



愛している人だからこそ、


「聞いてもらえなかった」
「わかってもらえなかった」


その悲しさや悔しさが、
より強くなっていったんだと思う。


そして、ある日、
我慢の限界で爆発してしまった。





気づけば私はずっと、
今この瞬間の自分の感情を、

「未熟なもの」として押し込め続けてきた。




だから、ブログにも
自分が扱えるくらいに

気持ちが整理された出来事しか、
書けなかったのだと思う。




自分を守るためには、

それが最善だと信じてきたからだ。




でも今はもう、
その鎧は脱いでもいいかな、

って思ったんだ。



夫とこの先、
またやり合うことになってもいい。
無理に大人になろうとしなくていい。


体当たりして、
思いっきり怒ったり、
泣き叫んだりしたらいいじゃん。


って思った。



だってその方が、
黙って壊れるよりも
ずっと誠実だって思えたから。



心の専門家だからって、
サポートして当然、なわけじゃない。


生身の自分の感情は、
ちゃんと自分が守ってあげなきゃいけない。



それは、夫が夫婦のお金について
「払って当たり前の関係になりたくない」
と言っていたことと、
私の中では同じところにつながっていた。



相手のことを信頼しているからこそ、
性別や役割に関係なく、
お互いの気持ちや立場を尊重し合うこと。


上でも下でもなく、同じ目線で

違いを認めながら、話し合えること。



それが、
私が本当に望んでいる
対等な夫婦の関係だ。



自分でも気づいていなかった思考の癖に
気づいた今、それができる気がするし、


これからの夫婦関係が

すごく楽しみでもある。

 

 

 





 


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