対等でいたかったんだ | ほんとうの自分らしさに気づく  らしさナビゲーター響子のブログ

「対等」という言葉が、

ずっと心に引っかかっていた。

 



夫と付き合いはじめた頃、


「対等でいたいから、

出かけるときのお金は割り勘がいい」


と言われた。



「『払ってもらって当たり前』
という関係になりたくない」


という夫の意見は、
とても誠実に思えた。



自分がクレクレ星人になっている時は、
決まって、自分が自分の可能性を

見くびっているときなのを、

経験上知っていたからだ。




自分の欲しいものは、

全部自分で手に入れられる。


そう信じていた。


だから、夫の意見に賛成した。






結婚して、

夫といろんな場所へ行った。


楽しかった。


自分ひとりでは出会えなかった景色に、
たくさん出会わせてもらった。


でも、出かけるたびに、
胸の奥がキュッと縮む瞬間が必ずあった。



いくらかかったんだろう。
次はどこに泊まるんだろう。
私に合わせて、無理に安いところを選ばせていないだろうか。


そんなことを考えている自分が、

すごく嫌だった。



収入が全く違うふたりが、
ただ金額を半分にすること。

それが「対等」だと、
私は、本当に思えていたんだっけ。




家事の分担には、不満はなかった。
家賃も生活費も出してもらっている。


だからこそ、
この違和感を口にする資格が、
自分にはないような気がしていた。



「今の私には、これくらいしか出せない」
その一言が、どうしても言えなかった。



払えなくはない。
頑張れば、なんとかなる。


そうやって、

毎回、自分に言い聞かせていた。



いや、そうなんだ。
苦しいのは、金額そのものじゃなかった。



出かけるたびに、
楽しさの隣に、必ず不安が並んでいること。

 


そのことを、

誰にも見せられないことが苦しかった。



「対等」という言葉が、
いつの間にか、私を沈黙させていた。






別の場面でも、同じだった。


夫が感情的になって、
私の話に、まったく共感してくれないとき。


冷たい言葉だけが返ってくる時間は、
静かだけれど、確かに心をえぐられた。



私は思っていた。
私は心のサポート役なんだから。

生活を支えてもらっている分、
ここは私が引き受ける番なんだ、と。



さみしい、って言わなかった。
わかってほしい、って言わなかった。



それも「対等」だと、
どこかで思い込もうとしていた。





でも、あるとき気づいた。
私はずっと、我慢していた。



お金のことも、
気持ちのことも。



「対等」という言葉の中に
自分を押し込めて、
身動きができなくなっていたことに。




 

やれやれ。

 

私はどうやら、
「対等」という言葉を
ものすごくこじらせた形で
受け取ってしまったらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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