ある読者から以下のタイトルで原稿が届いた。
周囲の人達に協生理論・農法について語っても全く受け入れられず、理論に入る前の「案内文」として作成、野人に承認を求めて来た。
いきなり入れば、どちらも世界の常識とは異なり、初めての人にとっては信じられない理解出来ないことばかりだからそうなるだろう。
以前の記事「野人理論・健康法は諸刃の剣1・2」で「協生理論」「協生農法」を自らの言葉で語ることと波及活動を禁止している。
自らの言葉で語れば必ず間違えるからだ。
波及広報を兼ねた複合事業、つまり他の活動と併用することも同じ。
理論はどちらも創成期であり重要な時期、間違った活動が先行するのを防ぐ為だ。
やれば野人原人・シネコカルチャーの波及活動の妨げになる。
未来の複合事業モデルは既に原人のシネコ・野人の再生機構の両社団法人の事業計画に組み込まれているが、まだ先のことになる。
まず農業事業者を増やすことが先決であり、読者の皆さんには家庭菜園も含めて、ただ協生農法のみを自ら実践することをお願いしている。
仲間を増やし情報交換なども問題ない。
主旨から大きく逸れない限り農法実践は自由に名称を使えば良いが、協生農法・理論は登録商標であり併用事業は承認なしでは不可。
この案内文の内容は、農法よりも難解な「協生理論」から入っている。
そして問題提議はしているが理論の詳細・答には至っていない。
さすが・・と言うしかない。
野人は初めて理論分野の波及を依頼、その詳細は後日紹介する。
この案内文は会社でも採用、マリンビレッジでも希望すれば講習生に配布する。 必要な読者はプリントアウト・コピーして使えばよい。
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「ありのまま」って どういうこと![]()
「ありのままでいい」「ありのままが美しい」「ありのまま⽣きる」etc… どうやら「ありのまま」は、幸せの秘訣らしい…
そう。近年ヒットした『アナと雪の⼥王』の、♪ありのままの〜 の歌にもあるように 「ありのまま」は世界中の、⽂学、演劇問わず数多の芸術のテーマと⾔っても過⾔ではない 世界中の⼈々が⽬指す「⽣き⽅」です。 でも、「ありのまま」⽣きるって、どういうことなのでしょう?
「⾃由に⽣きる」「⾃分に正直に⽣きる」。 なんとなく、このあたりでしょうか?
…うーん。誰もが憧れる“ありのまま”ですが、なんとも随分、とらえ所がありません。 みんな“ありのまま”⽣きることを⽬指しながら、 “ありのまま”のやり⽅をシッカリ説明できる⼈に、出会った事がありません。
え? “ありのまま”は⼈それぞれだから、答えなんか無いって? “ありのまま⽣きる”とは、ただ“⼼の向くままに⽣きる”ということだと? でも、だったらどうしてこんなにも多くの⼈が、こんなにも⻑い間叶わない“ありのままの⽣き⽅”を求めて彷徨っているのでしょう。 豊かさを、幸せを求めて、頑張っているのでしょう。
実は、ヒトとして「ありのまま」⽣きるための 明確な「やり⽅」が存在するとしたら…? 「⾷べるもの」「暮らし⽅」について唯⼀の「正確な⽅法」があるとしたら…。 その答えを知りたくはありませんか?
これは、そんなふうに ヒトとして地球上に“ありのまま⽣きる”ための、“地球における⽣き⽅”説明書です。 難しいことは何もなく、誰もがいつでもどこでも使える、 透かして⾒れば”ありのまま”の答えが⾒えるメガネのようなものです。
ただ純粋に“幸せ”を求めているだけなのにいつまでも満たされない全ての⼈びとが、少しでも「⽣きやすく」、同時に全ての存在が「活きる」世界になりますように。
◎「豊かさ」とは?
皆、幸せになりたくて⽣きています。 でも、たとえ⾃分が幸せだったとして、家族が、友達が、恋⼈が、⼤好きなアーティストが、学校が、勤める会社が、住んでいる国が、ひいては⾃分たちの住まうこの地球が、傷つき苦しんでいるとしたら、それは幸せと⾔えるでしょうか。 いきなり極論のようですが、「幸せ」になるには、⾃分だけでなく、この地球上の全ての存在も「幸せ」 である必要がありそうです。 これからお伝えするのは、「ヒトはもちろん、地球上すべての⽣き物が、その⽣き物としての役割と命を 全うできる世界」こそ「健全に機能した世界(地球)」であり「本来(ありのまま)の姿」だとして、そうした地球の仕組みを説いた説明書です。 ⼈間の視点や思惑は⼀切抜きに、あくまで「地球」をひとつの⽣命体としてとらえ、その仕組みを紐解 いたその説明書の名前を、「協⽣理論」―きょうせいりろんーと⾔います。
◎なぜ「協⽣理論」?
⼈類が、地球上で最も発達した頭脳を持った動物であることはまず間違いがなさそうです。 それなのになぜ、⼈間活動により環境破壊、気候変動は進み、紛争、飢餓貧困問題は⼀層深刻さを増し、 ⼈々の多くが健康問題を抱え、そのどれもが解決にも改善にも向かわないのでしょうか。 ⽇々先進国では⼤量の⾷料が廃棄される⼀⽅で、貧困国では飢餓や紛争により多くの⼦供たちが、⼈間 活動により数多の動植物がばたばたと命を落としてゆく世界は、果たして「健全に機能している」と⾔えるでしょうか?“進歩”していて“豊か”であるはずの“先進国”ほど、病気や⾃殺が減るどころか、増加する ⼀⽅なのは、何故なのでしょうか。
もしかしたら、私たちが「豊かになるため」と⼀⼼不乱に進めてきた⼈間活動そのものに大きな原因が あるのかもしれません。では、どこでどう間違えたのか?本来どうすればよいのか? そこで登場するのが、「協⽣理論」です。この“地球”という、最も⾼度で精密な⽣命システムの仕組みを 紐解く協⽣理論を⽤いることで、地球上におけるヒトとしての「在るべき在り⽅」が⾒えてきます。
◎たとえば、「野菜」について
⾝近な例を挙げます。私たちは「健康に⽋かせない」と、野菜を摂ります。(ところで、そもそも「健康」とはあくまで“活動 するための基本的な状態”を指すのであり“⽬的”にはならないはずです。健康になるために努⼒する動植 物は⼈間のほかにはいません)。ビタミン、ミネラル、⾷物繊維 etc…「健康には野菜の“栄養成分”が⽋かせない」と、私たち⼈類はせっせと広⼤な農地を耕し農薬を用い⾍を避け⿃を避け、農薬が“体に悪い”と なれば有機農法、無農薬など、あらゆる策を講じ「野菜作り」に取り組んでいます。 とはいえ、その健康問題は解決に向かっているでしょうか。⼈類はもう随分長いこと「健康(栄養)の ため」莫⼤な時間とお⾦を回して野菜の⽣産を⾏っていますが、効果があればとっくに解決しているはずの健康問題は解決どころか悪化する⼀⽅です。ということは、私たちの食べている「野菜」になにか決 定的な間違いがあるのではないでしょうか。 野⽣を見てみると、なるほど、「栄養バランス」や「成分」を「考えて」⾷事をしている動物はいません。
彼らは地球が育んだ食べ物を本能で摂取し、病気になることなくその命を全うします。そう、決定的な違 いは、彼らが「地球が育んだ(地球の⽣命システムから⽣まれた)」ものを⾷べているのに対し、私たちが⾷べているのは「⼈間が作ったもの」。思えば、この地球上で病気になるのは⼈間のほか、ペット、家 畜、農作物等、「⼈間の⼿」が介⼊したものたちだけです。畜産業、⽔産業同様に、ヒトが「作って」いる時点で、野菜も「養殖」と⾔えます。 野菜とは、植物です。⽣命です。⼈類を含めた地球上に存在するあらゆる⽣命は、この地球で46億 年という果てしなく長い年⽉の中で、それすらも長い年⽉をかけて生まれた空気、⽔、⼟壌に育まれながら巧妙に、繊細に関わり合い進化をし、その環境で⽣きるための「完璧な(最善の)」仕組みを備え この地球に存在しています。その仕組みがもはや⼈知を超えたものであることは、私たちが、なぜ⾃分たちの⼼臓が⾃分たちの意思に関わりなく動いているのか、呼吸しているのか⾃⾝の体すら解明出来ていない事からも明らかです。 では、私たちにとってはまだ神秘とも⾔えるその「完璧な仕組み」をもった野菜(植物)を、わたしたち⼈類は本当に「作る」ことが出来ているのでしょうか。私たちが「健康のため」食べている野菜は果たして本来⽣命維持に必要な「⽣命⼒」を宿した「本来の」「食べ物」足り得ているのでしょうか。私 たちに必要なのはたかだか数百年のうちに⼈類の⾒地から分析した「栄養成分」などではなく、地球の その完璧なシステムから⽣み出される「⽣命⼒」という「エネルギー」とは考えられないでしょうか。
◎協⽣理論を農業に適⽤した“協⽣農法”
こうして、これまでは“丹精込めて”“作ってきた”野菜を、地球におけるイチ「植物」としてとらえなお し「完璧な地球のシステム」に則って本来の⽣命⼒を宿す「野菜」を「⽣産」するのが“協⽣農法”で す。協⽣理論を農業に展開した協⽣農法【Synecoculture】はその定義を「無耕起、無施肥、無農薬、種 と苗以外⼀切持ち込まないという制約条件の中で、植物の特性を活かして⽣態系を構築・制御し、⽣態 学的最適化状態の有⽤植物を⽣産する露地作物栽培法(公式サイトより)」とし、すでにアフリカ ブル キナファソで 2015 年に実施され回復不可能と⾔われた砂漠地帯をわずか 1 年で緑化させ、その収穫は 現地平均国⺠所得の約 20 倍を売り上げるという成果を叩き出し、砂漠化解消はもちろん現地の健康問題、飢餓貧困、紛争問題までも解決に導き世界の注⽬を集め始めています。(ファダングルマ宣⾔)
以上は「野菜」と「農業」の「在り⽅」を協⽣理論によって⾒直した例ですが、このように、⼈間の 利益ではなく、協⽣理論をもって現代の⼈間社会を透かして⾒ると、「本来は必要のなかったもの(耕 作、農薬など)」「本当は必要だったもの(⽣命⼒)」が浮き彫りになり、この地球という⽣命体にイチ⼈類としてどう「在る」のが「健全」かを教えてくれるのです。
◎たとえば「暮らし」のなかでは…
⾝体の洗い⽅ひとつにも、協⽣理論を適⽤すればいろいろなことが⾒えてきます。全ての⽔中動物が その表⽪を粘膜で覆うことで⽣命を維持できているように、陸上動物は⽪膚を⽪脂で防⽔、微⽣物で覆われることで⽣命を維持してきました。この⽣命の仕組みからすると、⽪脂や微⽣物を徹底して除菌したり、洗い流すということは、果たして本当に必要なことでしょうか。 広⼤な⽥畑を見て、つい「ひろびろと美しい」と思う⼈は多いと思います。ですが、⾒⽅によって は、⽬当ての作物を⽣産するため他の⽣命を締め出し、あれだけの広さを⼈間が独占しているとは⾔えないでしょうか。公園は?ゴルフ場は?植林の山々は?コンクリートで固められた川は?⼈間の利のみ で作られた空間は、果たして地球の理に叶っていると⾔えるでしょうか。 このように、これまで「あたりまえ」だと思っていた⾷事や、⾵景、暮らし⽅などの「常識」も、協⽣理論というメガネを⽤いれば、必ずしも「必要」や「当然」と⾔えるものではないかも知れません。
◎「協⽣理論」で「ありのまま」に
こうして、本来、何をどう食べ、どう暮らしてゆけば良いのか。地球の仕組みに則ったイチ⽣物、ヒトとしての「在り⽅」こそ「ありのまま」であり、それが出来て初めて、ひとりの健全な⾁体を持つ⼈間として創造し、表現し、最⾼のパフォーマンスを発揮することができるようになります。 地球で最も発達した頭脳を持つ⼈類がそう「成る」ことで、初めて地球は豊かに健全に、回り始めます。
地球を壊すのが⼈間なら、救えるのもまた⼈間しかいません。 私たちはあまりにも長いこと“上”を⽬指し“外側”を気にするばかりで、⾜元に、内部に広がり私たちの命を⽀える「仕組み」に注意を払わずにきました。地球という⽣命体の仕組みを蔑ろにした⼈間活動によって傷つき、荒らされた⼟壌は気候変動やパンデミックとなって「このままでは⽴ちゆかない」ことを⽰しており、それらは決して降ってわいた「災害」などではなく⼈間活動に起因した必然の出来事です。 “エコな暮らし”は、環境保護活動は、瞑想は、寄付は、政治活動やデモは、これまで地球上の様々の問 題を解決に導いたでしょうか?もちろん無意味では無かったかもしれません。けれど、歯止めがかかっているとは⾔えない今、そもそもの原因はもっと根幹にあったのではないかと、いよいよ⽬を向ける時 ではないでしょうか。紛争、飢餓貧困、環境破壊 etc…⽇々失われてゆく命に「もう沢⼭だ」と思っている⼈は多いはずです。 ⽣命の問題は、⽣命の仕組みを理解しなければ解決には向かいません。
ひとりひとりが地球のイチ⽣物として「在るべき在り⽅」に納まれば、オセロの⽯を⼀気にひっくり返 すように、周辺はみるみる⽣命⼒を取り戻し、地球そのものを復元させます。私たち⼀⼈ひとりにその⼒があります。 さらに、もはや「保護」などでは収拾がつかないほど傷ついたこの地球環境を、修復するだけでなく、より多くの⽣命が活きる場所に昇華、拡張させることが、⼈間の知性を以ってすれば出来ます。(拡張⽣態系) 地球の覇者たらしめるその⾼度に発達した頭脳を、破壊を伴う利益⽬的ではなく「地球上すべての⽣き 物がその役割を全うできる」空間を創造するために働かせ始めた時… それこそ「⾃分が幸せになる」ために「地球上全ての存在の幸せを実現する」第⼀歩かも知れません。 協⽣理論を通して、この⼈間社会を、生き方を、ひとつひとつ⾒直してみると… 今すぐ取り組めることが、きっとたくさん⾒えてきます。
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