見えない世界の道理と意義 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

見えない世界の立証は難しく、物理学と違って無数の主張や珍説が飛び交っている。

魂、気、レイキだけでなく、エネルギー、波動などの物理用語が入り混じり、明確な道理もなくいきなり答ありきの世界、個々の思いと科学が混線する様相を呈している。


中には当っている内容もあるのだが、それを導くプロセス、道理、方程式に理がなければ、信じるか信じないかの世界になってしまう。

思いは自由な世界だが、現実に存在するなら見えようが見えまいがすべて物理であり、見えない電気でさえも物理なのだ。

奇跡などというものはなく、現実の出来事には必ず道理が存在する。


今の科学に限界はあるが、そうかと言って「こうなっている」と、いきなり答を出して「信じなさい」と言うのは野人の性に合わない。

どちらの世界も股にかけた野人は、その線引きははっきりしている。

記事にしたくとも出来ないことは山ほどあるのだ。

陰陽師ムー?としての体験から、間違いないと確信しても、後で勘違いだと解ったこともある。

それが「感じて納得する」見えない世界の盲点であり、道理がはっきりしないのが弱点だ。

だから、自ら体感して答を出したものでも、色んな角度からの道理が繋がらなければ記事にしないようにしている。


道理とは筋道であり、GPS電波のように幾つかの線が交われば、科学的証明が無理でも確信を持って話す。

後で「間違いでしたすみません」では済まないことも多く、その人の人生をも左右する。

自分の思いは別にして、それが教え広める立場の人間の「責任」ではあるまいか。


「間違ったこと、根拠が見出せないものは伝えない」が、野人と原人の信条だ。

個人差なく誰もがそうなるのが「理」であり、そうならない人には責任を持ってフォローしている。

そうならない場合にも必ず原因はあり、わからなければ野人の力が及ばないと言うことだ。

必ず解明して見せるという信念がなければこのブログは書けない。


それぞれが説く答は間違ってなくとも、用い方が間違っていることがあまりにも多過ぎる。

そうなれば、知ることで人の道を誤ることになりかねない。


一例を挙げるなら、地球を含む全宇宙は意識エネルギーで満ち溢れている。

瞑想、交信、対話など、色んな方法でその存在を体感している人は多い。

しかし、身分証明書を提示しない宇宙?や神?からのメッセージほど危険なものはなく、その判断も物理に入ると言うことだ。

すべては一対であり善も悪も神も魔も同じ数だけ存在、それが陰陽だが自らを魔と名乗る魔はいない。

感性だけに現実の判断を委ねれば、その感性に人生を翻弄されることになりかねない。


人は何の為に限りある肉体と限りなき脳機能を持って地球に生れて来たのか

魂を磨くとは 悟りとは何か 知性とは・・

空の彼方ではなく 今立っている足元からあらためて考え直した方がいいだろうな・・ 


天と地 人は・・天を見て 地を見ず


大地の仕組みを知らずして地球を知ることはなく

生命の仕組みをも知ることは出来ない

自らの能力も・・
それらを知らずして万物の判断は出来ない

地球も 宇宙さえも・・


それが・・野人が出した答だ


誰からも教わらず これらの本も一切読まない

幼い頃からの実体験と森羅万象の理から導いた

一応・・神も魔も お友達だが・・音譜

神に誓って 教わってはいない


 

文明の歪が生み出した矛盾

http://ameblo.mom/muu8/entry-10473225166.html

生命の仕組みのお話4

http://ameblo.mom/muu8/entry-11414951530.html


伊勢神宮の日輪
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空を翔け・・ 野人車を誘うクモ・・

渦を巻いて山中に吸い込まれる龍雲達

その場所を示し続ける道標の虹玉

行き着いた先には・・メラメラ