人は何の為に生れてきたのか、永遠のテーマで悩みでもあるが、それぞれが決めれば良いことだ。受験であろうが一流会社であろうが、贅沢な暮らしであろうが構わない。
野人は、人として生まれ、森羅万象の仕組みと生命とは何かを知り、魂を磨くことだと思っている。
前世に関心もなく、転生も神にまかせる。
すべての生き物は今と言う瞬間を精一杯生きている。
この時、この地で与えられた生命を燃やし尽くし、自らの判断で仕組みを知ることだ。
そうすれば人間とは何かが見えて来る。
それが「悟り」であり、悟りの行きつく先は慈悲の心だろう。
机上から仕組みは生まれず、瞑想や自問自答からも生まれず、理解とはほど遠い。
仕組みとは宇宙物理学なのだ。
悟りとは自身の心の納得ではないと野人は思っている。
心だけで悟れるのなら肉体はいらず魂のままで事は足りる。
頭だけで考えても立体的な理解は出来ない。
何故肉体を持って生まれたか考えると良い。
目も鼻も耳も舌も手足も必要だから持って生まれたのだ。
上という定義がなければ下も中流もなく、左右も善悪もない。
喜怒哀楽、苦しみも悲しみも怒りも喜びも身を持って味わい、自ら「判断」する為に人として生まれて来た。
成功よりも失敗から学ぶことのほうが多い。
最後は自分の心が決めることだが、判断の根底にあるものは森羅万象の「道理」であり心ではない。
喜怒哀楽は「現実の出来事」に反応して発生する。
最初から心や他力本願の常識で判断を下せばその結果は我が身に戻り、嘆くこともあるだろう。
本来それは嘆かなくても良いものなのだ。
続く・・
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