大地に思うこと | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

人類が誕生して以来、狩猟採取の時代が何万年も続き、やがて農耕の時代へと移り変わっていった。

日本では縄文時代から弥生時代への転換期だ。

 
それまでは天然資源が暮らしを支え、少数グループが点在、たいした争いもなく暮らしていた人間は、安定した食料生産が可能になることで集落を作るようになり、ここから急速に文明の進化が始まった。

言わば農耕の発見が人を進化させたとも言える。

 
人が集まることで産業、学問も生まれた。
言い換えれば、農耕は自然から学んだ人の知恵の始まりであり文明の原点だ。


画期的な発見の始まりは植物であり、道具を使うという知恵は、石器という生きる為の武器や生活用品から農機具へと発展した。

やがて農耕用の石器、木器は大陸から伝えられた鉄器へと代わり、それが現在の戦いの武器のルーツになっている。

 

食料も大量生産と備蓄への時代へと移り、持つものと持たないもの、つまり財産という観念が生まれ、食料や農地を巡って集落同士の争いも生まれた。

これが集団戦争の始まりであり、農機具の鉄器が効率の良い武器へと形を変えた時代でもある。

 
それまでは共同の大地だったが土地の所有権が生まれたのもこの頃だ。
戦国時代がそうであるように力あるものが常に土地を所有していった。
所有財産の目安は金銭ではなく何万石と言われるように米の生産高で決まった。
とれる米の量が召抱える兵の数、つまり戦力をも左右した時代だ。

 

農業が何を現代にもたらしたか、驚くほどの正の遺産も負の遺産ももたらしたことは間違いない。

今の農業でつくづく感じることは、全ての文明の原点なのに何故このようになってしまったのか残念に思う。

 

戦国時代の「士農工商」の身分制度にも見られるように武士に次ぐ功労者と持ち上げられながらも歴史上類を見ないほどの貧困に喘ぎ、生産者なのに餓死者を一番多く出している。

一部の大農家は別として常に小規模生産者が虐げられ現代に至っているような気がしてならない。 


文明が発展し、多様な産業が生まれ、学問も技術も進化、暮らしが便利で豊かになっても自然界から収穫するという農業、漁業の基本的な営みは何ら変わることがない。 

生きていく上で、空気、水の次に大切な有機物という人が生産することが出来ない食べ物を常に人々に供給し続けてきた。

 

農業と漁業は環境、健康問題に直結する。

これは生きていく為に、国民全員で取り組まなければならない問題ではなかろうか。

そして農業も漁業も生産者が国民の大切な台所を賄っている一番の功労者だ。

 

せめて田畑と家業を子孫に引継ぎ、普通に暮らして行ける様な世の中でなければならないと思っている。