龍と女神のツインレイ夫婦

Mosscual・りこにゃんです🐉

 

 

 

 

「整う」ということ

 

最近、わたしもゆうきんも
ふとした瞬間に

同じことを口にします。

 

「なんか最近、前より整ってるよね」

 

特別な出来事があったわけじゃない。
環境が劇的に変わったわけでもない。

 

でも、内側が静かで、
余計な力みが抜けていて、
ちゃんと“自分の場所”に

立っている感覚がある。

 

整うとは、
完璧になることではなく、
本来の位置に戻ること。

 

誰かの期待でもなく、
役割でもなく、
不安でもなく。

 

「わたし」として立つこと。

 

 

 

 

守られている、という感覚

 

そして最近、
わたしの中にこれまで

あまりなかった感覚が生まれました。

 

それは——

 

「守ってもらっている」


という安心感。

 

依存とも違うし、
誰かに委ねている感じでもない。

 

自分の足で立ちながら、
それでも隣にいてくれる存在を
自然に信頼できている感覚。

 

たぶんこれって、
相手が変わったというより、

以前よりも受け取れる自分になった
ということなんだと思います。

 

昔は、

 

「もっとわかってほしい」
「もっと愛を感じたい」

 

と、どこかで求めていた気がします。

 

でも今は、

満たされた状態で隣に立っているからこそ、
相手の愛がそのまま届く。

 

ツインレイだから特別なのではなく、
“整った二人”だから、深くなる。

 

これは、

どんな関係性でも

同じだと思います。

 

 

 

 

君を好きでよかった

 

最近、6歳の娘が

カラオケにハマっていて、
月に一度くらい

家族で行くのが恒例になりました。

 

昨日も娘のリクエストで行ったカラオケで、
途中、ゆうきんが

マイクを持って言ったんです。

 

「りこにゃんに捧げる歌だよ」

 

そう言って歌い始めたのは、
ウルフルズの「バンザイ」。

 

正直、少し照れくさかったです。

 

でも途中で、

涙が出てきてしまいました。

 

“君を好きでよかった”

 

そのまっすぐな言葉が、
頭ではなく、

カラダに届いたんだと思います。

 

ああ、わたし
こんなふうに大切にされているんだ。

 

もちろん

愛されていることは
知っていました。

 

でもこのときは、
それを“感じた”のだと思います。

 

そしたら今度は、

泣いているわたしを隣で見た娘が
必死に変顔をして

わたしを笑わせようとしてくれてました。

 

その姿を見たとき、

 

「ああ、わたし今、
ものすごく愛されている」

 

と、心の奥で静かに確信しました。

 

 

 

愛を生きる、ということ

 

幸せは、
何かを手に入れたときに

突然現れるものではなく、

心が整ったとき、
すでにそこにあったものを
受け取れるようになること

なのかもしれません。

 

愛を生きるとは、
愛を探しに行くことではなく、
自分の中心に戻ること。

 

誰かに満たしてもらう人生ではなく、
自分で自分を満たした上で、

それでもなお、
隣にいる人と
響き合うことを選ぶ生き方。

 

守られていることも。
愛されていることも。

 

本当はずっと、ここに在った。

 

受け取れる状態になると、
外側は何も変わっていないのに、
世界の見え方が変わります。

 

愛は新しく生まれるものではなく、
気づくたびに深まっていくもの。

 

 

 

もし今、整っていなくても

 

もし今、

まだ整っていないと感じていても、
愛を受け取れないと思っていても、
大丈夫です。

 

愛はなくなっているわけではありません。

 

ただ、
あなたが自分の中心に戻るのを
静かに待っているだけ。

 

整えること。
受け取ること。
信頼すること。

自分の声を聴くこと。

 

その小さな積み重ねが、
ある日ふと、涙になります。

 

特別な出来事が起きたわけでもなく、
人生が劇的に変わったわけでもないのに、

気づいたら、
ちゃんと愛の中に

立っていたとわかる瞬間がある。

 

愛も、安心も、つながりも——

本当はずっと、すぐそばにあります。

 

それを受け取れる自分でいるかどうか。


ただ、それだけです。

 

もし「整う」という感覚に
あなたの心が静かに反応したなら。

 

その感覚を

日常の中で育てていく場を、
わたしたちは

オンラインで開いています。

 

特別な誰かになるためではなく、
すでに在るものに気づける

自分へ戻るために。

 

必要なタイミングで、
またどこかでご一緒できたら嬉しいですウインク