先日、京都の花背にて、花背文化講という勉強会に参加させていただきました。







花背にある福田寺というお寺を継承された理事長のお考えから、地元の方との協力で始められた勉強会で、毎月福田寺のご法要の後に開催されています。


今回は3人の花背に嫁がれたおばあちゃんの出産の時のお話を聞くという内容で、一番年長は93歳の方でした。


3人のおばあちゃんがそれぞれ、当時の記憶を辿りながら、妊娠、出産の話をしてくださいました。



一番に話されたのは、93歳のおばあちゃん。


私はおばあちゃんの話を聞きながら、涙が溢れてくるのを感じました。


まずそのおばあちゃんの考え方、意識の高さに驚かされたからです。


「いつまでお仕事をしていましたか?」


「産む前日まで働いていました。」


病院にも行かないので、自分で計算をして、予定日を予測して、自分の母親の出産を見ていたので、その時におばあちゃんに言われたことを思い出しながら、準備をしたというのです。



いよいよ今日だなぁと思った日に、お姑さんに言ったそうです。


「今日、産みますのでよろしくお願いします。」

「出産の場所を作ってくださいませ。」


その在り方の素晴らしさに、私は涙が溢れそうになったのです。


彼女の中には当たり前のように、嫁いだ先のご両親に対しての尊敬の気持ちが感じられました。


「子どもを産ませていただく。」
「よろしくお願いします」


言葉の中に、おばあちゃんの姿勢の全てが詰まっている気がしたのです。 




それは凛とした美しさでした。 


昔は、一旦お嫁に出ると、「もう帰るところがないと思いなさい」と言われたということをよく聞きます。


それが良いか悪いかということではなく、そこには「覚悟」があったのだろうなぁと思ったのです。


もう後戻り出来ないと思うからこそ、いろいろなことを受け入れることができたのではないかと思います。


「理不尽な事を経験することは、とても大切な経験である。」


ある本にそう書いているのを読んだことがあります。


理不尽さを経験しないで成長すると、打たれ弱くなってしまうそうです。


「なんでこんな事で怒られるのだろう」「それはおかしいよなぁ」


成長期に部活などでもそんな風に思いながらも、それを受け入れて乗り越えることは、心の耐性を作っていくとありました。





私も、母がなかなか激しい人で、叱られる度に理不尽さをよく感じていた事を思い出しました。


知らず知らずに鍛えられていたのかもしれません。(笑)


現実を受け入れること。
昔はそれが当たり前だった。


しかし、今は心の耐性が弱い人が多いために、自分にとって都合の悪い現実を受け入れることが出来ないことがあるように感じます。




これも以前読んだ雑誌の中に書かれていた事なのですが、作家の檀一雄さんが娘さん達に贈った言葉です。


「お前たちの未来が苦労多きものでありますよう。苦労の多い人生は実りが大きい。」


苦労と言うとしんどい気がしますが、心の耐性がついてくると、段々と苦労を苦労と思わなくなる気がします。


それが私がいつも心がけている、「全ては最善のことが起きている」という基本的な考え方に繋がります。





また別の場所で、ご縁があって参加させていただいた会で、千住博さんのお話をお聞きする機会がありました。


彼の言葉の中で印象に残ったのが、「日本人の特徴は、礼儀だ」という言葉でした。



茶道、武道、華道。


全てに道という言葉がつきます。


日本人の精神には、道があった。


日本人がいろいろな事を経験してきて、改めて今、両親やご先祖様への感謝と尊敬の気持ちを思い出す時なのだと感じています。





それは自分の先祖だけではなく、命を繋いで来てくださった全ての命への感謝と尊敬の気持ちです。


そして、それを形として表すことを知っていた私たち「日本人の在り方」を、再度思い出す時なのだと思います。


私自身も今、残していくものと変えていくところを認識して、新たな自分、新たな会社に生まれ変わろうとしています。



変容の時。



それは全てのものに訪れている気がします。



個人も会社も、そして国も。地球も。





変わるためには一旦全てを解放して、明け渡すことが必要です。



蝶々が一旦サナギの中で溶けて水になってから、蝶になるのと同じです。



自分を再確認するのです。



残していくものと、変えていくもの。


そして、改めて新しい自分をクリエイトしていくのです。




今の時代の大きなテーマである、「無限の可能性」を生きるために、多くの気づきが日々私の中でも湧き上がってきています。