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術後に発生した手足の痺れなんですが、入院中の「THE 痺れ」という感じが、退院して来た頃には「ボワ~ッ」という感じになっていました。
今日は少し前に息子ちゃんとお出かけしたお話を少し
神戸市立博物館で、2月1日まで開催されていた大ゴッホ展に行って来ました。

撮影OKの絵が何枚かありました
その後淡路島まで足を伸ばし…
それでもぎゅうぎゅうに詰め込んで楽しんだ1日でした
さて、長くほったらかして来た退院後の事を書きたいと思います。
(2024年1月、頚椎症性脊髄症により前方固定術を受けました。現在は術後約2年です。)
痺れを1枚まとっているような?とでも言うか…
足は熱いような感じもありました。
というか何故か本当に熱くて、冬の間冷え知らずでした。
足裏は熱い砂を踏んでいるようで、地元の海水浴場かもしくは子供の頃の裸足で行われた運動会を思い出しました。
筋力はやはり、かなり落ちているのを感じました。主治医であるT井先生からは、しばらく重い物を持つ事や下を向く事等を禁止されていたので、洗濯物等は小分けにして運んだりしていました。料理もなるべく下を向かなかったかな(笑)ノールッククッキング
そんな状態でしたが、まぁなんとか動けてはいました。
そんな時❗️
以前にも書いた「薬疹」事件が起こります
(1~2月)
重度だった私は腎盂腎炎にまでなってしまったんですが、その時の抗生剤が合わなかったのか??段々痺れや筋力低下が悪化してしまいました。10メートルもまともに歩けなくなってしまい、それまでは無かった手足の突っ張り感も出てきて、ロボットのような動きでした。
皮膚科の先生は薬の副作用だと言い、T井先生からは自律神経じゃない?と言われ…
私的には、脊髄症で弱った身体に薬の副作用が強く出てしまった印象。もしくは薬疹がきっかけでそれまで出されていた薬を減らした為に一気に症状が現れたのかな?という感じでした。
(術後は大量の薬が処方されていました。)
とにかく当時の私は息子ちゃんの卒業式を控えていて、原因がどうであれどうにかして歩けるようにならなければならず(笑)毎日必死のパッチでした
そしてどうにか無事卒業式に行けた私
(3月)
ですがその後も体調にはかなり波があり、手術前に戻ったと言うよりは全く別の症状になったような感覚でした。
それでもひたすら近所を散歩したりして、春にはトータルで1万歩歩ける日も出てきました。ほんの少しなら小走りも出来るように(笑)
(4月)
身体は突っ張って動きにくいので、筋肉や関節への負担はすごく感じました。
実際あちこち痛くて
身体の柔軟性や衝撃を吸収するクッション性が無くなってしまったので、踵も激痛に。足底腱膜炎になってしまいました。
私は元々身体が柔らかい方だったんですが、硬いと怪我に繋がりやすいのを身をもって痛感しています。
術後少しの間は、「後は良くなるのみ❗」と思えたんですが、腎盂腎炎の一件以降とてもそんな風に思えなくなり、身体が動くうちにやりたい事をやらねばというマインドに切り替わりました。(大袈裟でスミマセン
)
そう思った私は、春から保護猫施設のボランティアに参加させていただく事にしました。
しかしこの頃から、お尻?や股の辺りが痺れるようになり、それまで痺れた事が無い場所だったので不安に...
(5月)
T井先生に話すと、
「手術は成功してるから他を調べてみよう。」
と言われ、脳、胸椎、腰椎とMRIを撮りましたが結果異常無しとの事。
と言うか実はこの頃には私の中で、T井先生に対する不信感が生まれており
何を聞いても「手術は成功している。あなたが気にし過ぎ。」ばかりで、頚椎の検査はほぼ無く定期的に薬をもらうだけという感じ。
その後さらに手足の痺れも酷くなり、範囲も広がって来ました。例えば腕。それまでは肘から先だった痺れが肩甲骨辺りから痺れ、就寝中は時折「動かないのでは?」と思うほどに。
私の体感的にはとても異常無しとは言えない。
こっそり別の病院でも診てもらいましたが、「他所で手術して1年も経って無いような患者、診る病院はO阪中どこ探しても無いよ❗」と突き放されてしまいました。
電話できちんと問い合わせて、事情説明してから行ったのにやで⁉️ひどない⁉️
K野病院。何があっても一生行かへん💢
余談ですが、電話で問い合わせた際に術前のでも良いからMRIの画像あれば持って来てと言われ、T道病院でもらったデータを持参した私。
それを診たK野病院のU田医師が、
「Y田先生?時々勉強に僕のところに来るよ。Y田先生の診断で合ってると思いますよ。
京大のなんたらかんたらの勉強会でね~(以下自慢話)」
私はクズがクズを生む縮図を、ピンポイントで見てしまった気分でした
長くなりましたので続きは次回。
お付き合いいただき有り難うございました







