◆NHK大河ドラマ・光る君へ 第29回 母として | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。



1001年
正月に、1年の無病息災を祈る儀式が行われた。
宣孝は 天皇が飲み切れなかった薬を飲み干す、名誉な役割を担っていた。
「帝の様子はいかがでした」
「お目通りはかなわなかったが、顔色が悪かったようだ」
正月の除目の前に各国の国司の働きを評定する、受領功過定が行われた。
為時については、宋人を帰らせなかったのが、批判を招いていた。

ききょうが、まひろのところに現れた。
定子をイメージして草子を書き残しておいたという。
「こたびも まず まひろ様にお読みいただきたいと思いましたの」
まひろ「生き生きと弾むようなお書きぶりですわ。しかし皇后さまの影の部分も知りたいな」
きっぱり「皇后さまに影などはございません。あったとしても、書く気はございません。華やかな雄型だけを人々の心に残したいのです」
まひろ「そうでございましたか。これはご無礼致しました」
ききょう「皇后様のお命を奪った左大臣にも一矢報いてやろうという思いでございます。
左大臣は、競い合っておられた皇后様のご兄弟を遠くへ追いやり、皇后様が出家なさったのを口実に帝から引き離し、己の幼い娘を入内させ中宮の座に就けました。帝にさえ 有無を言わせぬ強引なやり口と嫌がらせに皇后様はお心もお体も弱ってしまわれたのです」

為時が再任かなわず帰ってくることになった。

国司を務める山城国府に出かけた宣孝は出かけたきり戻って来なかった。
にわかな病にて4月25日に亡くなったと使者から報告があった。
まひろはぼーっとしていた。
賢子を抱きしめた。

乳母が逃げ出してしまった。
百舌彦が道長の使いとしてやってきた。
「為時殿より左大臣家のご嫡男・田鶴君(たづぎみ)漢籍のご指南をいただけないかとのことでございます。屋敷でも、時折漢詩の会が開かれますのでそちらでも ご指南役を頼みたいと。正式な官職ではないがお引き受けいただければ禄は十分に出すと仰せにございます」
為時「そのお役目は辞退いたしたく存じます。左大臣様のお心を無にしてしまいまことに申し訳ございませぬ。もしかなうならばこの次の除目においてお力添えを頂きとう存じます」
百舌彦はびっくりして早足で帰って行った。

まひろは父を叱った「明日、道長様をお訪ねになりお申し出を受けると仰せくださいませ。次の除目とて当てにはなりませぬ」
為時「そうであるな、そうである」

倫子は、一条天皇が彰子のところに来ないため、ピリピリしていた。
詮子(あきこ)は道長に「敦康(あつやす)親王を人質にしなさい。定子の忘れ形見の敦康親王を彰子に養育させるのよ。
道長は一条天皇に「敦康親王様が お健やかであれば亡き皇后 定子様のご鎮魂にもなります」
「わかった」
敦康親王が、道長の後見を受け中宮・彰子と藤壺で暮らし始めた。

伊周はいらだっていた。
弟・隆家に「お前が院に矢を放ったからであろう」
隆家「そこに戻る?」
清少納言が訪ねて来た。
「あの華やかであった皇后様のご在所の様子を書き連ねたものにございます。これを宮中にお広めいただきたく存じます。お目通しくださいませ」
伊周は喜んで預かった。

10月9日
女院・詮子の40歳を祝う 四十の賀が道長の主催により 華やかに行われた。
伊周は道長へ呪詛をおこなっていた。

見事な舞を見せる道長の子どもたち。
初めは田鶴の舞を「見事なものだ」と感心して見ていた道長だったが、続く巌君の舞はそれを上回るもので、明子は得意満面。
巌君の舞に感心した一条天皇がその場で巌君の舞の師に従五位下の位を授けた。
田鶴はショックのあまり一目をはばからず泣き出した。
道長は「女院様のめでたき場であるぞ。泣くのをやめよ」とたしなめる始末。
詮子が苦しみだした。
心配する一条天皇に「(汚れるから、私に)触るな」と怒鳴った。
詮子は、薬師の用意した薬は断った。
道長に「伊周の位を元に戻しておくれ・・・。帝と 敦康のために。伊周の怨念をおさめたい。お願い、道長」
道長「分かりました」

伊周が一条天皇に『枕草子』を差し出した。
「皇后・定子様との思い出をさまざま記したものにございます。どうぞ、おそばにお置きくださいませ」
まひろが賢子に本を読み聞かせ、物語を書きだした。


前回の「光る君へ」の記事はこちら(2024年7月28日)
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では、明日。