◆岡田准一のザ・プロファイラー「野球の神様ベーブルース」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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▼2014日米野球の時のグッズ
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MLBで新人王に選ばれた大谷翔平選手が、「野球の神様・ベーブルース以来の二刀流」と騒がれた。
僕は、ベーブルースが二刀流だったことは知らなかった。


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本名はジョージ・ハーマン・ルース。
両親は船乗り相手の酒場を経営していた。
少年時代は悪ガキだった。
7歳で酒とたばこを覚えた。
不良の更生のため工業学校に入学させられた。
修道士のマシアスがノックしていたのを見て、野球に参加することにした。
ピッチャーとして活躍。

1914年、当時マイナーチームのオーナー兼監督のジャック・ダン氏がスカウトした。
マイナーチームのオリオールズと契約し、その年にレッドソックスに入団。
1916年は23勝12敗・防御率1.75、9完封しリーグ優勝に貢献。
第一次世界大戦が始まり、チームの外野手が戦争に駆り出されていた。
バッティングの成績を買われ、登板しない日は外野手をすることに同意、二刀流が始まった。

中心選手にはなってきたものの、酒と夜遊びに溺れる毎晩だった。
「しんどいから」打者に専念したあとは次々と大記録を打ち立てた。
ヒットと盗塁が主流だった当時、ルースはホームランをかっ飛ばした。

1919年12月、金銭トレードでヤンキースへ放出された。
1921年には打率.378、59本塁打を記録し、ヤンキースをチーム史上初のリーグ優勝に導いた。
ヤンキースはワールドシリーズチャンピオンになり、観客も増えた。

ルースの年俸への執着心はすさまじかった。

ニューヨークの議員のジミー・ウォーカーから「子供たちの希望を奪うのか」と言われ、奮起した。

1923年ヤンキースタジアムが完成、「ルースが建てた家」と呼ばれた。
また成績を残しワールドシリーズ優勝し首位打者になった。
また夜遊びをするようになり不摂生で倒れてしまった。

再度、トレーニングに励み、ホームラン王と得点王になり
2度のワールドシリーズに貢献した。

大谷選手はトミージョン手術を受けたため、2019年シーズンは登板できない。
2020年シーズンから二刀流となる予定だが、果たしてメジャーリーグの過密日程の中、何年二刀流でいられるのだろう。
二刀流に理解を示してくれたマイク・ソーシア監督が退任したのも非常に気がかり。


大谷選手20号ホームランの記事(2018年9月16日)
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https://ameblo.mom/miyacar/entry-12405375788.html


では、明日。