1936(昭和11)年、2つの大事件が起きた
・陸軍の青年将校たちによるクーデター 2・26事件
・突如、黒豹が園内から脱走してしまった
黒豹の体長およそ150cm、力が強く俊敏な猛獣
猛獣舎の天井には黒豹の毛が付着しており、鉄格子のわずかな隙間から逃げ出したことがわかった
床から天井までは4m、普通に黒豹がジャンプしても届かないはず
岩場や木々を匠に使い、三角飛びのように飛んで脱出したと言われている
東京中がパニックになった
2・26事件でも出動した警視庁の精鋭部隊700人もの捜索隊が結成された
市民の安全を守るには、射殺もやむなしという状況だった。
その頃、上野動物園の職員たちは、公園付近を捜索、上水道に隠れていた
板で挟み撃ちにして、上部のマンホールに柵を用意し、捕獲に成功
動物も守らないといけない、人間が害を受けてはいけない
2つを両立していくことが一番大事、最善の方法を選択して対処できた
大捕り物の立役者であるボイラー技師の原田(草相撲の大関)には金一封が授けられた
名古屋の東山動物園
ここに動物のための慰霊碑が立てられている
今からおよそ70年前、太平洋戦争のさなか全国の動物園で動物たちが殺されるという悲劇がおこった
上野動物園で殺されたゾウの話は有名
しかしこちらの動物園では動物を守るため立ち上がった人たちがいた
東山動物園には2匹のゾウがいた。
エルドとマカニー。
動物園が開園した昭和12年、サーカス団からやって来た。
長い鼻を大きく振り上げるあいさつ、その愛くるしい姿は人々の心をつかんだ。
動物園を笑顔でいっぱいにすれば美味しいご褒美がもらえる
2頭はいつも一生懸命自分たちの役目を果たしてきた
昭和16年12月太平洋戦争が始まると、動物園は憩いの場から不安の場所へと変わっていった。
戦火によって飼育施設が破壊され、動物が逃げ出す恐れが出て来た。
その不安を助長したのが昭和11年に起きた黒豹脱走事件だった。
大戦の直前、軍は上野動物園に空襲で園が破壊され、動物が逃げ出す時の対応策をまとめさせた。
それが“動物園非常処置要綱”である。
動物を危険度において分類し、最も危険とされたホッキョクグマ、トラ、ライオンから順に殺すことが取り決められた。
そして昭和18年東京に大規模な空襲の危機が迫ると、上野動物園では猛獣の処置が始まった。
ライオンやゾウなどが次々と殺されていった。
この影響は東山動物園にも及んだ。
動物を殺せという圧力が強まる中、園長は必死に抵抗を続けた
昭和19年12月13日、名古屋が大規模な空襲を受けた。
飼育施設が破壊され動物が園外に逃げ出すことが現実になろうとしていた。
市民の安全のため、東山動物園でも苦渋の決断を迫るを得なかった。
動物園から動物たちの姿が消えてしまった。
翌昭和20年8月、東山動物園は陸軍に接収されてしまった。
空いた敷地で輸送用の軍馬を飼育するためだった。
園長は、動物園を支えてくれたエルド、マカニーを密かに匿っていたのであった。
人間さえ食べるのにも困っている中、2頭は栄養失調で衰弱していた。
陸軍の三井高孟(おさ)大尉は、獣医として東山動物園に移された軍馬の管理を任されていた。
立っているのが精一杯のゾウが突然目が合ったら立ち上がった。
芸をし出した。あれは餌を欲しがっているに違いない
本当にお腹が減っている、かわいそうだなと思ったようだ。
それから象舎の中に軍馬用の飼料が運ばれてきた。
まるで取ってくれといわんばかりに置かれた飼料の山。
園長たちは、人目の付かない夜に忍び込み、これを盗みだした。
そして飼料をゾウが食べられるように調理して2頭に与えた。
ゾウが1日に食べるエサの量は100kgを超える。
盗みだす量は次第に多くなっていった。
兵隊から報告があったが、大尉は無視してそれ以上のことはなかった。
これで命をつないでもらえれば、何とかなるんじゃないかと思っていた。
軍の物資の横流しに等しいこの行為がバレれば、重罪は免れない。
三井大尉も命がけでゾウを守ろうとしていた。
園長は戦後こう語っている
「見て見ぬ振りをしてくれていたのでしょう。二頭が最後まで健在だったのは、まったくこのおかげです」
終戦、東山動物園に駐屯していた陸軍の部隊が去る日がやって来た。
人々が力を合わせて守った命、ゾウたちは厳しい戦争の時代を生き延びることが出来た。
そして戦後2頭はもう一度動物園で大きな役目を果すことになった。
戦争によって荒廃した日本で多くの人が家族や家を失い、心に大きな傷を負った。
そんな中、希望をもたらす知らせ・動物園にゾウが生きていることだった。
「ゾウに会いたい」子どもたちが声を上げた。
この願いを叶えるため、昭和22年、子どもたちを乗せた臨時列車が各地から東山動物園に向けて走った。
“象列車”でやって来た子どもたちは3万人を超えた。
2頭のゾウは3万人の一人一人を笑顔にし、焼け跡から立ち上げる力を与えた。
日本に最初の動物園が作られてから130年
現在動物園は単なる動物の展示施設でなく、研究や保護という新たな役割を担うようになった。
イケメンゴリラのシャバーニ君が人気の東山動植物園
絶滅危惧種であるゴリラの繁殖に取り組み、大きな成果を挙げている。
飛ぶように泳ぐペンギン、北海道旭山動物園では動物が持つ本来の動きを引き出すよう飼育施設に工夫が施されている。
自然の中でしか見られなかった姿を間近で観察することで動物園への理解がより深まると期待されている。
そして上野動物園
パンダやアイアイなど、希少動物の飼育に力を注ぎ、今も日本の動物園をリードする存在であり続けている。
さあ、明日は動物園に行ってみよう。
そうすればきっとみんな笑顔になれるはず。
「動物園130年の物語・明日は動物園に行こう(前編)」はこちら(2016年5月4日)
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