◆日野原重明先生のインタビュー「命を誰かのために使いなさい」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。

日野原重明・104歳・聖路加国際病院名誉院長
高齢者の星として、毎日講演に引っ張りだこ、月に1度は地方講演もこなす。
2020年の東京五輪も、自身の目で見ると宣言している。
70年以上に渡り、医療の現場に立ち続けてきた。

この世に生を受けたのは、1911(明治44)年。
中国では辛亥革命が勃発し、日本では大逆事件の嵐が吹き荒れた年
終戦を迎えた時、日野原は33歳。
39歳の時に奨学生としてアメリカ・アトランタに留学
当時の先進的な医療を学んだ。
数々の歴史的瞬間にも立ち会って来た。
1970年よど号ハイジャック事件に遭遇、4日間人質となった。
聖路加

103歳の美術家・篠田桃紅との対談
篠田は脊髄の圧迫骨折により、聖路加病院に入院していた。

患者さんを診る時、たたくと音で水がたまっているのがわかるという。
篠田のアトリエで太い筆から細い筆まで何本もぶら下がっているのが珍しかったようだ。

篠田が今でも新しい作品を作っていることが脅威だと言うが、惰性で筆を持って何かを書いていると謙遜され、取られると、生きているような気がしない。
アメリカという国の幅の広さ・奥の広さ、敗戦国の日本から来たからすべてが驚き。
アートというものをやっているおかげでボストンからもニューヨークからも呼んでもらえた。
アートがいかに人間社会の中で普遍性が有るか。
篠田の独創的な水墨の抽象画は、評判を呼んだ。
自然な成り行きに自分が乗っているのではないかと。

日野原がハイジャックに会ったのは、神か仏とかそういう意志があったのだと思った。
ソウルで無事に解放された時の映像がNHKに残っている。
「私の命はこれからは誰かに捧げるためにあるんだな」と学んだ。
それから今日までの生き方が大切なこと。
「人へのサービスのために僕がある」と分かった。
生かされていることへの感謝だ。

言葉の表現は違うが、日野原と篠田では共通するものがあるという。
篠田は“月とスッポン”と言って笑う。
篠田がすでに“神に近いわね”と言って、日野原が照れ笑いした。

日野原は、篠田の著書の“生きている限り人間は未完成”と自分で言っていることを強調。

番組ディレクターから、2人は何歳まで生きたいと思っているのか
日野原の10年手帳には2013年から2022年、10年先の約束・予定が書いてある。
「死ぬわけには行かない」
人間の寿命はまだまだ伸びる。
自分には使命があるということを自覚して、毎日毎日生きていると生きがいになってくる。
生きがいがなければダメ。
篠田は対照的で、手帳など持たない、その日その日の風によって生きている。

カメラに映る機会、生きている姿をみんなに見せたい。
瞬間瞬間が本当の生き方、瞬間の中に生き方のエッセンスがある

長生きの秘訣は何か?
篠田には何もない、普通にやっている
日野原はビジョンを持つ、ベンチャー・それに対して全力投球をする
そうすると、自然にビクトリーが与えられる
篠田は、自らそれがわかったことを評価、だから先輩に聞くことはナンセンスだと。
みんな自分で考えて1人で作ってきた
ディテール(細かいこと)の1つや2つ教えられることはある。
本筋は自分で生み出している。

日野原は週に1回は、がんの末期の患者のホスピスの病棟へも行って、安らかに召されるように話をしている
医師免許証に期限はないが、定年後だから給料もらっていない
時間と能力を捧げるという気持ちでやっている
目が見えて耳の聞こえる間は診察ができる
医者とは、もっと患者の心に接する、そういう職業
健康とは、体の健康と心の健康とがあり、両方一緒になっている。
体が病むと心も病む。

日野原が医師を志したのは10歳の時、母が重い病を患った
父は牧師で家計は貧しかった、近所の医師が診療代も取らずに母を治してくれたという。
単に病を治療するに留まらない医師の役割・医療の役割を考え続けている。
1954年には病の早期発見のため、いち早く人間ドックを開設
生活習慣病という言葉を使い始めたのも日野原だ。
そして80年代からは緩和ケアにも取り組み始めた。
日本初の独立型ホスピスを設立。

最初の患者の一人が16歳の少女で、結核性腹膜炎のためにどんどん悪くなる
「先生、わたしはもう母に会う機会がないと思うけど、本当に母には世話になった。
私の代わりに先生からお礼を行って欲しい、私はもうこれで死んでいくから」と言われたが
「頑張りなさい」と叱咤激励を言っているうちに彼女は目をつむってしまった
このことがいつも頭の中にある。
どうして私は彼女の手を握りしめて処置をするよりも、彼女の心をサポートすることができなかったのかと心の痛手になっている。
安らかな最後のために、医師として何が出来るのか
日野原は末期がん患者の診察に力を注いできた。
日野原が看取った患者は4000人を超える。

お釈迦様がインドに生まれてお城に住んでいた。
けれども外に出てみると、病人がいたり、いろいろな気の毒な人を見て
世の中には“生老病死”があるんだと理解された。
4つの難しい問題を受けて、どう生きるか皆が考えなくてはならない。
仏教もキリスト教も人がどう生きるかということに尽きる、という。

篠田は“人生は迷いだ、人間は死ぬまで迷路に入っている”。
迷いと、いつかなんとかなるだろうという楽天的な考えが同居しているという。


日野原は小学生に対して“いのちの授業”をこまめに行っている。
「みなさんは大人になったら、自分の時間を誰か困っている人のために使うことを考える時が来る」
命や平和について考えさせた。
命とは与えられたもので、自分で作ったものではない。
与えられた命を芸のため、絵のため、人のため、命を出すことが生きていく上で大切なこと。
大切な命のことを子どもたちに伝えたい。
君たちの命は触ったり出来ない、目でも見えない。
でも君たちは使うことが出来る、その命を誰かのために使いなさい。