私は父が癌になるまで、
癌治療を知らなかった。
車椅子になって、大腸癌になって、
人工肛門(ストーマー)になった父の介護が始まってから、
ストーマーの取り扱いを知った。
そして、
介護の現実を突きつけられた。
ケアマネさんが決まるのがこんなに時間かかるとは思わなくて、
母や妹と殴り合いのケンカになり、
「抗がん剤なんかやりたくない、無駄や」
とワガママを言う父を、
「死にたくないなら、拝め!」
と無理矢理歩かせて神社に引きずって行った。
初めて「高齢者虐待ダイヤル」に電話した。
父を殺すか自分が死ぬか、
家族を皆殺しにするか、
もう限界だった。
そのお陰で、すぐにケアマネさんが決まった。
知らなかったらどうなっていただろう?
今頃殺人犯でニュースに出てたのかな。
ニュースの裏側ってきっとこんな感じだ。
凶悪犯と自分の境目がつかない。
私達は自分が直面するまで事実を何も知らないのだ。
Twitterにも書いたが、
癌患者同士でも棲み分けは大事で、
進行が遅く比較的生存率の高い下肢部分にできる癌患者と、
治療の難しい上肢部分にできる癌患者では、
同じ癌患者や家族同士でも交流でトラブルが起きる。
癌患者の家族会などでも、
「同じ病気」と言っても進行も治療法も違うからだ。
「助かる」
「助からない」も違う。
だから、
今現在苦しんでいる患者さんに、
「私は昔癌でしたが、今は完治してこんなに元気です」
とわざわざ見せることは、
「助かる」可能性がある人には希望だが、
「助からない」可能性が大きい人には絶望でしかない。
恋愛や結婚もそうである。
若ければ次の可能性があるが、
年取れば取るほど出会いの機会もなくなる。
私は離婚再婚を経験しているが、
他人に簡単に「次を探せ」と言ってしまうこと、
「自分も昔そうだったけど、今は幸せだからきっと貴方も大丈夫」
と言ってしまうことは、
ある人には希望であり、ある人には絶望である。
「もう後がない」と思ってる人は、
他人の幸せを見せつけられると、
さらに追い詰められて絶望する。
相手の心情を思い測ってから、
言葉を慎重に選ばなければならない。
出産もそうだ。
私も下の子を8年差で産んだが、
2回流産している。
1度目は5ヶ月だった。
結構大変な堕胎手術になり、
精神的にもかなりやられた。
しかし、
周りからは容赦なく罵られた。
「それぐらいのことで」
「辛いのはあなただけじゃない」
これがスピに足を踏み入れるきっかけでもあった。
(死んだ赤ん坊を生き還らせてください、
と頼む母親。仏にだって出来ることと出来ないことがある)
実の母は鈍感で流産経験がないから、
私が術後「痛い痛い」とのたうち回っていたら、
「へぇ、流産ってそんな痛いんやな。
流産って産んだ後痛いんや?
知らなくて私は幸せ」
とわざわざ笑いに来た。
殺意を覚えた。
2人目不妊だった義妹には、
「妊娠できただけええなぁ、流産すら羨ましい」
と言われた。
本当に人にはそれぞれの事情があるのだ。
「亡くなったお子さんをどうされますか?
良ければ大学病院のほうで解剖して、
医学の進歩に使わせて頂きたい」
そう言われて、
「この子がこの世にやって来たことに理由ができるのなら」と承諾した。
闇から闇に葬り去られるよりずっといい。
「そんなに気に病むな。この世に産まれなかったものなんか、
虫ケラみたいなものだ」
と父は言った。
やっぱ当事者にしかわからない、
とそんなこんなで、
色んなスピリチュアルにも手を出したが、
最終的には代わりに犬の娘を迎えたことで、
なんとか立ち直った。
やっとこさ、
次女を妊娠〜産まれた時は、
奇跡だと思ったし、
出産ハガキも出さなかった。
そんなことをしたら罰が当たるのではないか?
とすら思った。
「何故言ってくれなかったのか?」
と周りには言われたが、
自分が痛い思いをしたから、
色んな立場の人が居ると知ったからだ。
他人の幸せそうな笑顔で切り刻まれる痛みは、
痛い思いをしなかったらわからなかっただろう。
その時の痛みを知ってる自分が自分を許せないのだ。
離婚〜再婚した時も同じだった。
経験とはあってもなくても個人差があって、
一概に「同じ」ではない。
「同じ」経験をしていても、
全員「違う」ということを知らなければならない。
結局のところ、
どれだけ痛い目を見たか、
が経験となり、
血となり肉となる。
どれだけ周りを思いやり、
小さな叫びに気づくことができたか。
「痛みを知らなくて幸せ」じゃない、
「私は他人よりたくさん痛みを知ってて幸せ」
他人の悩みを聞く仕事をやっていて、
1番大切なこと、
他人の心の傷を扱うという責任。
お金をもらっている以上プロなのだから、
軽々しく扱ってはいけないのは当たり前。
占術を学ぶより、
ずっとずっと大事なこと、
自分が「無知である」ということを知れ。
「普通」や「まとも」「常識」などの先入観が、
何層ものフィルターとなり「真実」を歪めています。
「普通」「まとも」「常識」なんて、
ただの洗脳でしかない。
「こうあるべき」「こうあらねば」
そんなものありません。
憶測で適当にものを言ってはいけません。
私はそれに気づける人間でありたい。
「事実を知ろうとすること」
関係ないけど、
私はTwitterでバンギャを名乗ってて、
「バンギャって何?」
ってよく聞かれますが、
ちゃんと知ってる人って居るのかな?
バンドの追っかけのギャルのことで、
(もうギャルではないけど)
推しの為に生き、
推しの為に死ねる人のことです(大袈裟)
私の占い師名を知って、
「実は僕は運命共同体です。絶対にこの人の鑑定を受けなきゃいけないと思った」
と依頼してくださるX JAPANファンの方も居ます。
「龍玄とし」と「DAHLIA」という曲を、
知らなければお話にもならないわけで、
この曲に込めた、
hideの思いもわからないわけです。
運命共同体は、「だりあ」と名乗っただけで、
「ああー!X JAPAN解散、hideの死!」となるし、
「DAHLIAツアーで、
生きているhideのステージを観たことがある」
と言えば、
当時を知ってるというだけで、レジェンドと呼ばれてしまうわけです。
その事実を知らない人とは雲泥の差。
(櫻井さんはhideのDOUBTをカバーした時も、腕に梵字を書いていたんだよなぁ)
BUCK-TICKの曲は、あっちゃんの亡き母への鎮魂の曲もあって、
大好きな曲のタイトルをツイートしたら、
誰かにくだらないリプをぶら下げられて、
めちゃめちゃ腹が立った。
(無知、無神経は罪だと思う)
今日も誰かが誰かの不幸の上で楽しそうに笑う。
私は光の中で笑う人達より、
暗闇の中で苦しんでる人、
泣いている人のそばに居たい。
上辺のファッションだけでやってるんじゃない。
肉親を亡くした人は、「弔い」とか「供養」とはどういうことかちゃんと知っている。
占術に関係ない、
どうでもいい情報ほど、
この仕事に役立つものはない。
全てがお客さんとの話のきっかけになるから。
受け皿は広い方がいい。
気づかないより、気づけた方がいい。
そして、
私はケンカもできない人間関係ほど、
薄っぺらなものはないと思っている。
「それは嫌だ、こうして欲しい」
と正直に告げる。
私はパートナーにもケンカを吹っかける。
波風も立たない日常が退屈でつまらない。
「普通」「まとも」「常識」
そんなものの範囲内の「平和」に窒息しそうになる。
占いやスピリチュアルみたいな、
普通じゃ考えられない、
ぶっ飛んだ仕事についているにも関わらず、
普通の人間と同じような生活に埋没している、
当たり障りのない価値観しか持たない人間に依頼したら、
どうせ、
そこへまた「普通」「まとも」「常識」をぶち込んで、
お客さんをがっかりさせるのが関の山だ。
実につまらん。
それでは誰がやっても同じ。
ケンカしたくない、
って逃げ回ってた元彼が、
いつの間にか、
「ケンカもできないような付き合いなら要らない!」
って私が叫んだら、
「ああ、その通り!」
って叫ぶようになって、
やっと本気で私に向き合ってくれた!
って嬉しかったんだよなぁ。
「こんなに他人とまともに向き合ったの初めて」
そう、
その台詞言われるとぞくぞくするんだよね。
それを聞きたくて私はまだ生きてる。
削られても削られても、
何度も私にぶつかって来てくれた、
谷底に突き落としても這い上がって来た、
君だけだったんだ、チャレンジャーは。
私が聞きたいのは血の通った本音で、
上辺だけの会話しかできない人間に何百人、
何千人囲まれていたって、
誰も居ないのと同じ。
嫌われていい、
揉めてもいい、
時には殴り合いも必要。
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