お会いしたかった方に お会いすることができました。
おもわず 乾杯です![]()
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それぞれの シンクロニシティに 私は ますます後押しを感じています。
母と最後の共同作業の記憶
それは
作文でした。
たいそうわたしは作文が得意で、
小学校の授業でも 最初の5分で書き上げてしまうほどでした。
ある作文を 先生の勧めで応募することになり
母と机を並べて 作文を清書しました。
消しゴムで消してくれたり、ここはこうじゃない?とかいいながら
右に座った母が いまでもそばに感じられます。
その作文は全国で特選をとり、そのとき頂いた時計はいまでもなお
実家のリビングで時間を刻んでいます。
その時計の中には、作文が はいっています。
大事な大事な 作文です。
それから中学校のとき、
わたしは 詩に夢中になりました。
その詩について書いた感想文が 先生にほめられました。
その詩が心をうつのは、悲しさも喜びも経験しているからだ、、そんな内容だった気がします。
中学のとき、湾岸戦争があって、
どうして人は平和ではいられないんだろう、どうしたら平和になれるんだろう、そんなことを
考えていました。
いまでも信友のその友人の家で、
夕暮れ時に こんなことをいいました。
「私は、いつか人が平和になるような、文章をかきたい。」と
そのとき、私は全身鳥肌がたち、身体が浮いてしまうような感覚がおきました。
中学生のときです。
それから、いろんなことに夢中になり、
大学のときは、絵本作家になろうとうしてオリジナルの絵本をつくったり
はたまた、作家になるためには、生きることだ!と思うことをどんどん行動してゆきました。
道に迷ったり、はたまた落ち込んだり、がんばってみたり・・・
そして、、いま、
ある宿題がだされています。
読書感想文や、さまざまなわたしの情熱をためす宿題です。
ああ、天国の母と共同作業するのだな。
そう気づいたら、涙があふれてきました。
言葉とか、幻想とか、こうじゃないとか そうじゃないとか
そんなことはどうだっていいんです。笑
私の中で、沸き起こる シンクロニシティを
私は現実の世界で、とらわれることなく実践してみよう。
分かち合える友に支えれて
それぞれの人生に100%かける。
そう思いました。
だから 乾杯です![]()